諫早湾開門にむけて

a0064392_8423165.jpg
a0064392_1484785.jpg
今年の「干潟の日」のシンポジウムでは、開門にむけての運動に歴史的な前進がみられ、実り多きものとなったと思う。筆者は今年も諫早湾緊急救済本部の一員としてコーディネーターをやらせていただいた。(新聞写真の左端)
成果の第一は、ついに諫早湾内の漁民が起ちあがったことを、漁民のご当人がシンポジウムに出席し発言されたこと。第二は具体的な「開門」の方法について、きわめて科学的かつ確実に実現可能な「もぐり開門」操作についての提起があったこと、第三は金子長崎県知事の長女とそのつれあいである谷川議員の長男が経営するTGF(とってもがめついファミリー)産業なる企業が入植するという不正行為があきらかになったこと。
第2の点では、水質悪化がいよいよ深刻化する「どぶ池」の水質改善には、もはや海水の導入しか道がないことがいよいよ明らかになっているのかで、経塚教授の提起された水門操作での開門は、あらゆる点から見て実現が可能であり、有明海再生にむけて一刻も早く実施すべきであることがあきらかになった。このどぶ池の水質改善は、有明海再生のまさに第一歩であり、この提案を「やらない理由」をみつけることは困難である。あとは実現への政治情勢をつくりあげることなのだ。
そしてとくに、第3の事実には筆者も心底腹が立った。なんと、彼らの入植地は干拓地本体ではなく、小江の埋立地で海抜2メートルの、安全で陸続きで、もっとも価値ある最優良地なのである。総工費2500億円を入植した40経営体で割ると、一戸あたり60億円の税金を投入したことになる、この成果をごっそりわがものにする、あのカクエイも真っ青の悪辣な政治家一族。それにしても、長崎エセ新幹線に4千億円、32年間まだ固執して住民にいやがらせを続ける「石木ダム」に数百億円、そして干拓事業関連に数百億円・・・名うての貧乏県のどこにそがいなカネのあっとか!すべては「偽装」された空中楼閣なのだ。その大規模な仕掛けのなかで、自分だけはがめつく稼ぐ悪いやつら・・・
関連記事:
諫干農地 知事の親族企業入植 長女夫婦が役員 公社「公平性問題ない」 国営諫早湾干拓事業の干拓農地の貸出先に、農水政務官の谷川弥一・自民党衆院議員(長崎3区)の長男と、金子知事の長女夫婦が役員を務める農業生産法人の株式会社「T・G・F」(大村市)が選ばれていることがわかった。干拓農地を貸し出す県農業振興公社などによると、同社が借り受けるのは約32ヘクタール。ジャガイモやニンジン、タマネギなどを栽培する計画という。同社は07年1月に設立。農畜産物の生産、販売、農作業の委託などを業務としている。谷川議員の長男が代表取締役、金子知事の長女が取締役を務めている。干拓農地は、同公社が国から672ヘクタールを一括購入し、入植者に貸し出す。62の個人・法人が申し込み、営農計画などを基に45経営体が選ばれた。公社によると、有識者ら7人でつくる選考委員会が審査したが、法人名などは伏せて行ったという。公社は「公平性に問題はない。谷川議員や金子知事らからの口添えや圧力も一切ない」としている。金子知事は19日の記者会見で、「昨年9月、営農希望者のリストを見て知った。娘は役員を外れた方が良いと思ったが、嫁ぎ先が経営する企業に口出しするわけにもいかず、言いそびれた。選考には一切タッチしていないし、知事の親族が県関係の仕事は一切できないというのもおかしい。誤解を招いたのは残念」と語った。 また、谷川議員は読売新聞の取材に対し、「耕作放棄地での農業を復興させるため、息子の会社で実験農業を行ってきた。干拓地への入植はその一つで、何が問題だというのか。国会議員や知事の親族であることが問題なら、息子夫婦が離婚し、私が議員を辞職すれば良いのか」と語った。干拓農地では、すでに種まきなどの作業が始まっており、辞退した2者を除く43経営体が4月1日から正式に営農を開始する。(2008年3月20日 読売新聞)
a0064392_149275.jpg
a0064392_1491077.jpg
a0064392_1492026.jpg

a0064392_1493035.jpg
a0064392_751778.jpg

通称「堤防道路」は、生と死をわける締切堤防の上を走る。だから「えせムツゴロード」。
a0064392_151710.jpg

わがムツゴロードを走ると、湾内いっぱいに「生」のよろこびを感じることができる。ロードの内側はバードサンクチャリと平和と生産の場。言うまでもなくわたしは、あの素晴らしい干潟をこわしてこのような道路を最初から造りたかったわけではない。ここまで公共工事が進み、土砂が投入されている段階であることと、雲仙普賢岳の噴火以来疲弊している島原半島の経済活性化を考えたとき、ぎりぎり許される「対案」ではないかと1995年の暮れに発想し、翌年1月に毎日新聞に発表しその後全国各紙及びニュースステーションなどにも放映されて大きい反響があったものである。

by honmachilabo | 2008-04-15 02:04  

<< 『摂津の鉄人』発行 かなり腕を... ほんまちラボ満10年のつどいは... >>