諫早湾開門にむけて

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今年の「干潟の日」のシンポジウムでは、開門にむけての運動に歴史的な前進がみられ、実り多きものとなったと思う。筆者は今年も諫早湾緊急救済本部の一員としてコーディネーターをやらせていただいた。(新聞写真の左端)
成果の第一は、ついに諫早湾内の漁民が起ちあがったことを、漁民のご当人がシンポジウムに出席し発言されたこと。第二は具体的な「開門」の方法について、きわめて科学的かつ確実に実現可能な「もぐり開門」操作についての提起があったこと、第三は金子長崎県知事の長女とそのつれあいである谷川議員の長男が経営するTGF(とってもがめついファミリー)産業なる企業が入植するという不正行為があきらかになったこと。
第2の点では、水質悪化がいよいよ深刻化する「どぶ池」の水質改善には、もはや海水の導入しか道がないことがいよいよ明らかになっているのかで、経塚教授の提起された水門操作での開門は、あらゆる点から見て実現が可能であり、有明海再生にむけて一刻も早く実施すべきであることがあきらかになった。このどぶ池の水質改善は、有明海再生のまさに第一歩であり、この提案を「やらない理由」をみつけることは困難である。あとは実現への政治情勢をつくりあげることなのだ。
そしてとくに、第3の事実には筆者も心底腹が立った。なんと、彼らの入植地は干拓地本体ではなく、小江の埋立地で海抜2メートルの、安全で陸続きで、もっとも価値ある最優良地なのである。総工費2500億円を入植した40経営体で割ると、一戸あたり60億円の税金を投入したことになる、この成果をごっそりわがものにする、あのカクエイも真っ青の悪辣な政治家一族。それにしても、長崎エセ新幹線に4千億円、32年間まだ固執して住民にいやがらせを続ける「石木ダム」に数百億円、そして干拓事業関連に数百億円・・・名うての貧乏県のどこにそがいなカネのあっとか!すべては「偽装」された空中楼閣なのだ。その大規模な仕掛けのなかで、自分だけはがめつく稼ぐ悪いやつら・・・
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通称「堤防道路」は、生と死をわける締切堤防の上を走る。だから「えせムツゴロード」。
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わがムツゴロードを走ると、湾内いっぱいに「生」のよろこびを感じることができる。ロードの内側はバードサンクチャリと平和と生産の場。言うまでもなくわたしは、あの素晴らしい干潟をこわしてこのような道路を最初から造りたかったわけではない。ここまで公共工事が進み、土砂が投入されている段階であることと、雲仙普賢岳の噴火以来疲弊している島原半島の経済活性化を考えたとき、ぎりぎり許される「対案」ではないかと1995年の暮れに発想し、翌年1月に毎日新聞に発表しその後全国各紙及びニュースステーションなどにも放映されて大きい反響があったものである。

by honmachilabo | 2008-04-15 02:04  

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