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ラビータの出会い

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ひさびさのラビータ。四谷三丁目の路地に面した小さなトラットリアであるが、ここがわが道場の東京での溜まり場であり、ゼミ生たちをしばしば連れて行ったところだ。秋田直送のナマ野菜とプラチナブタ、生ハム、てづくりパスタなどのおいしいおいしいイタリアンをリーズナブルなお値段で提供してくださるオーナーのユウジさんとは語学友、つまりフィレンツェのエウロチェントロ語学学校の同級生である。そして当時の、もう20年近く前には、みんな若かったご学友たちが、久々に集まった。彼らとは、フィレンツェのサン・フレディアーノという下町の、小さなスパゲッテリアで、ご近所のおっちゃんやおばちゃんと、よく一緒に飲んだものだ。ワルというと聞こえが悪いが、実際に、「通いで監獄に入っている奴」「元銀行強盗」「元ドロボー」「現役の故買屋」などなど、フィレンツェの鼻つまみ野郎などのワルの溜まり場みたいなところにどっぷりと入り込んだのは、もともとこのわたしであった。ふらりと入ったその店で出会った親分肌のマウロ(元セリエBルッカの選手だった男)と何故か妙にウマが合い、毎日通ううちに親しくしてくれて、短い期間だったがおかげで楽しい楽しいイタリアの下町生活を経験させてもらった。マウロは、めちゃくちゃ運動神経の優れた、昔はケンカばっかりしていた下町の悪がきが、長じてプロの選手になったという不思議な人物であった。いわば「明日のジョー」そのままの人生を送った人であり、まさに下町が生んだ大スターだったので、彼と一緒に居ると、まちのみんながすぐ私のことをトシと呼ぶようになった。商店街の花見という感じで、ポルチニの季節に、商店街の連中が寄ってルフィーノに近いポルチニの名所に食べに行くツアーにも、トシ来いよ、と連れて行ってもらったこともある。マウロの後ろ盾で、トシはあっという間に下町の有名人になり、イタリアの商店街の裏側もしっかりと観察することができた。マウロは、まったく惜しいことに先年亡くなった。その前に日本に来て、当時私の居た長崎にまで足を伸ばしてくれて、長崎の少年サッカーの指導をしてもらったし、私の講義にもゲストで出てくれた。大学生のクラブのサッカーも指導してもらったが、さすがにプロの放つシュートというものは凄いものであった。ゴールでみていると、うなりをあげて飛んできて呆然としたものであった。まあ、この話しはいつか詳しく書く時がくるかもしれない。

by honmachilabo | 2010-07-31 10:29  

緑ゆたかな環境大学を訪問してきました

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まちづくり道場師範代の中橋文夫さんが鳥取環境大学の教授に就任されて一年が経過した。講義に呼んでいただき、はじめて緑一杯の大学キャンパスを訪問することができた。この大学は、キャンパスそのものがエコ!屋根はもちろん壁面もすべてが緑に包み込まれている。こんなのびのびとしたキャンパスで学ぶ幸せな学生たち、と思ったのだが、やはり地方大学は学生募集が大変と伺った。思えばその悲哀は、わたし自身も長崎でしっかりと味わってきた。1970年から26年勤務した長崎総合科学大学のキャンパスもすばらしかったし先生方もすばらしかった・・・・眼下には美しい海をへだてて雲仙岳が遠望できた。桜の季節などほんと夢のような恵まれた環境だったなあ。しかも近くに漁村集落の突堤ではアジがよく釣れた。長崎では会社で言うと営業本部長の「入学就職部長」という役職を4年間担当して、「龍馬につづけ!」などと懸命にキャンペーンを張ったりしたなあ。歴史と自然豊かな地域だけに思い切って飛び込めば、楽しい事がいっぱいあることを売りにしたし、自分も学生たちとよく一緒に遊んだ、そしてステキなたくさんの学生さんたちとの出会いがあった・・・
そう言う意味では鳥取もまったくすごいところだと思う。ゲゲゲの境港もあるし、なんといっても雄大な砂丘がある。そして変化に富んだ海岸から広大な丘陵部を経て大山国立公園まで、実に奥深い自然があり、温泉があり、海の幸山の幸などうまいものがいっぱいある。そして、そこにすばらしい人々が各地にたくさんおられる。飛びこんだら楽しいこと請け合いの豊かな地域を、わがものにできる。この大学、教授陣もしっかりしているし、付き合ってくれそうな楽しい先生もたくさん居られると伺った。そしてそういう希望に燃えた学生たちのきらきらと輝くまなざしにも出会えた。のびのびと楽しく、大地に学ぶ、もっとも先進的な学生生活を満喫するスタイルこそが、若ものたちをしっかりと育てて、わが国をほんもののエコな国にするのだ。こんな大学こそ大いにはやらせたいものだと思った。もっともわたしのところも学生募集で苦戦しているので、他所の心配をする余裕はないのだが、わがほうの貧しい環境を思えば、こういう大学と連携することが出来ると互いに得るところが多いなあ。
写真は、砂丘の美術作品と大学キャンパス。「モネーの庭」も造られていた。

by honmachilabo | 2010-07-30 17:13  

台湾の町並み保全を訪ねて

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東大教授であった故北澤猛さん(実務に明るく気さくな人格者であり、まったく惜しい人物であった)をしのぶ会の席で、全国町並み保存連盟が台湾の町並み保存グループと現地で交流する、という話を伺った。台湾の受け入れ先である歴史資源経理学会の丘先生と町並み保存連盟の山本さんがお世話してくださるというので、思い切って参加を申し込んだ。以前1997年に台北で開かれたAWPNUC(アジア西太平洋都市保全学会)に、当時関学の学生たちを引き連れて発表参加したことがあるが、そのときにたいへんお世話になったのが、現在台湾歴史資源経理学会の執行秘書をつとめるヴィッキー(丘さんの娘)であり、今回もまた全て彼女にお世話になった。
 丘先生は、これまでもしばしばわが国の町並みゼミに来ていただいており、台湾の歴史的な町並み保全推進の第一人者として活躍されてきた。今回は彼女の援助で台湾の各地で進められてきた町並み保全再生事例の一端をみせていただいたが、そこには、何よりも地域住民の暮らしを守りつつ町並みを保全するという丘先生の哲学が、すべての地域でしっかりと根付いていることに感銘を受けた。
 ツアーは、大半が現地の人々との意見交換で、講演とシンポジウムの形式であり、物見遊山どころか、じつに忙しい旅であったが、台湾の若い人々が町並み保存と村おこしに実に熱心に取り組んでいることに驚いた。日本では町並み保存に熱心なのは一握りの年配者という構図になりつつあり、これはいかんと大いに反省した。
 ペイトウ温泉では、あの第二次大戦末期に日本の関東軍に対して「国共合作」を実現して対抗すべく努力しながら、台湾に拉致され、つい近年まで幽閉されていた張学良氏の居所が料亭になっていたのに驚いた。
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by honmachilabo | 2010-07-11 15:48  

膝を痛撃

比較的まめにくすりを飲んでいたから、もういいかなと夏の「ナマチュー」を再開したところ、これが甘かった。膝関節を襲うとは思いもよらず、もぞもぞしているうちに立ち上がれないほどの激痛。数日続いたが、その間に鳥取環境大学、東京の会議、講義と立て続けに仕事が入って、まあ大変なことでした。が、ようやく一息。

by honmachilabo | 2010-07-09 16:24