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ああ、南野佳代子さん!

いよいよこれから、彼女のまいたタネのひとつ「みつや交流亭」が大きく羽ばたこうというときに、9月15日、われわれは大事な大事なひとを失ってしまった・・・一ヶ月前には元気な笑顔で、淀川の大花火に招待してくださったというのに!他人にはまったく気づかせないように、病魔に蝕まれた体で無理に無理を重ねておられたと思うと、胸が痛む。長いあいだ、ほんとうにごくろうさま。そして、ありがとうございました。
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西山文庫の「すまい・まちづくり文庫レターNo.45、2009年秋号にたまたま南野さんのご尽力で「みつや交流亭」が生まれたいきさつなどを書いたところでした。文庫から届いたので、病床で見ていただこうと南野さん宛てに送ったのが、なんと15日の朝でした・・・・
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佳代子さんの手のひらの上でみんなが踊っているうちに・・・     
 片寄俊秀(みつや交流亭世話人・大阪人間科学大学教授)

 みんなが彼女の手のひらの上で、飲めや歌えやと踊っているうちに、だんだん「かたち」になっていき、「みつや交流亭」が生まれた。これだけの大仕掛けのできる大人物は、そう居るものではない。踊る場を失ったわれら凡人集団は、さてこれからどう振舞えばいいのだろうか。途方にくれるばかりである。

 あの全国を飛び回る有能多忙な早稲田商店街の藤村望洋さんが、彼女の通夜に出席するためだけに飛んでこられた。数百人という通夜者の多彩な顔ぶれをみて、「この人のすごさを、周りの人は本当にわかっていたのだろうか」と彼がつぶやくのを聞いた。われわれも、本当に彼女のすごさがわかっていたのだろうか。

 じつは葬儀の翌日、彼女が設立運営に尽力された一人である「ナナゲイ」(第七芸術劇場)で、「未来の食卓」というすてきな映画を鑑賞した。がんで次々と命を失う人が増えているなかで、食の改善が基本だと取り組んだフランスの小さな村のお話である。共感と深い感動を覚えるとともに、大阪ではここでしか上映していない現状に、あらためて彼女の偉大さを身近に感じた。みつや交流亭もナナゲイも、もちろん「ザ・淀川」の発行と配布も、彼女が仕掛けたり参加してきた多彩な活動の全ては、彼女の内部にたぎっていたマグマがいろいろなかたちで噴出したものであったと思う。

 ところで、手のひらから放り出されてしまったわれわれは、さてどうすべきであろうか。いま出来そうなことといえば、彼女をさかなに、われらが唯一共通の目的「うま酒を呑む」ことぐらいか。とりあえずは「水都2009」にあやかり「酔都×粋人2009・佳代子をさかなに」を提案したい。場所は「みつや交流亭」を生み出した、十三駅前の「富五郎」がもっともふさわしい気がする。わやわやと騒がしいばかりの、締りのない集まりになることは目に見えているが、そこに多様多彩な新たな出会いが生まれれば、彼女の思いのある部分を受け継げそうな気がする。

 わたし自身、決して長い付き合いがあったわけではない。知り合ってほんの数年だが、ずっと昔からの親しい友人のように接していただいた。じつはこの8月8日の「なにわ淀川花火大会」での二人きりのデート!が、いわば最後の出会いになった。そのときの生き生きとした彼女の笑顔は、とてもその一ヶ月後に旅立つ人とは思えなかった。ご病気のことはうすうす知っていたが、花火が始まるまでは会場のあちこちで出会った知人との立ち話、ドドーンと始まるやカメラをもって走り回る姿に、病の影はこれっぽちも感じなかった。病魔との苦しい闘いを他人にみせまいと、かなりの努力をしておられたのではなかったか。

 「みつや交流亭」を舞台とする労働組合と商店街再生との結合という、まさに前代未聞、わが国最初の、ひょっとすると世界最初の試みは、彼女の幅広い人脈と両者への深い理解と壮大な構想力なしにはあり得なかった、と思う。当初からわたしは予言しているのだが、この試みはひとり「みつや交流亭」にとどまるものではない。おそらく全国、全世界に波及して、壮大な運動へと発展するに違いない。まちや地域がこれほど疲弊してしまっているいま、労使交渉だけで要求が勝ち取れる部分はあきらかに限られている。労働者の団結のパワーは、すべからくまちおこし、地域再生に向かってほしい。まちや地域に元気が出てくれば、労働者も商店街や地域もそして周りの市民も、みんながwin-win-winの関係、つまり「三方一両の得」のすばらしい世界が生まれる。運動発祥の地「みつや」は、やがて世界の人々が憧れる「聖地」となり、佳代子さんは「伝説の人」となろう。われわれ自身もまた、その伝説を日々刻みつつある一人であることを自覚して、つねに初心(うま酒)を忘れず、彼女の思いをさまざまに受け止めて前向きに生きていこうではないか。 合掌

by honmachilabo | 2009-09-17 01:01  

公務技術の危機と展望

五十嵐敬喜さんが書評とシンポジウムの感想を雑誌「経済界」2009年8月号に書いてくださいました。恥ずかしながら小生、6月20日に開催したシンポジウムの司会をしていたのですが、宮本さんがこのような重要な発言をしておられたのかと、その真意を十分理解していなかったことを恥じ入りました。なお、後の文章は、小生が「都市清掃」第62巻291号2009年9月発行という雑誌に頼まれて書いた文章です。
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公務技術の危機と展望
片寄俊秀 (大阪人間科学大学教授)
はじめに
 行政関係の職場には、大多数を占める事務系の部局の他に多くの技術系の職員がいる。本論では彼ら公務員である技術者、なかんずくまちづくりや都市施設のマネジメントに関連する技術者の問題を中心的なテーマとしながらも、現実には公共的な性格を帯びた技術業務の担い手の多くが、すでに行政内部の公務員ではなく、業務委託を受けた民間企業の技術者たちとなっており、両者の連携で大半の業務が遂行されていることから、それらの公的な技術業務を総称して「公務技術」、そしてそれを担当する技術者を「公務技術者」と定義した。
この「公務技術者」のありようについて、いまいろいろと深刻な問題が起こっているのである。なかでも、次の時代を担うべき若手技術者がうまく育っていない、あるいは育つための環境があまりにも貧しすぎるという問題がある。加えて、まさに世代交代の時期を迎えて、さまざまな意味で有能であった世代の技術者たちが大量にリタイアし、その穴埋めをすることがきわめて困難という現実が目の前に迫ってきている。
この問題をめぐって、筆者は現役の公務技術者である中川学(自治体職員・土木技術者)と共著で、このほど『まちづくりの危機と公務技術』(イマジン出版2009年1月発行)という一書を世に問うた。さらにこの問題に関心をもつ人々の知恵を集めてなんらかの展望を開きたいと考えて、2009年6月に京都市内に於いて「公務技術の危機と展望」と題する公開シンポジウム(国土問題研究会ほか主催)*を開催した。これには現役の公務技術者や関心を抱く市民の方々約160名の参加があり、関係者の関心の高さと危機感のつよさを実感することができた。

*シンポジウム「公務技術の危機と展望」2009年6月20日京都平安会館。基調報告:中川学(国土問題研究会)、吉原稔(弁護士・同会員)。 パネラー:五十嵐敬喜(法政大学教授)、青木菜知子(編集者)、増渕昌利(元神戸市職員・建築)、宮本博司(元国土交通省職員・土木)、山道省三(ドウ・タンク主宰、造園)、コーディネーター:片寄俊秀(国土問題研究会副理事長・工学博士・技術士・一級建築士)

1 行政内部に技術者は必要か
第一は自治体や国の行政機関の内部に技術系の職員は必要なのかという、いわば「公務員技術者不要論」をどう考えるべきか、という問題である。「不要」などというといささか極端に聞こえるが、実態としてそう受け取らざるを得ないほど、いま彼らは追いつめられた状況に置かれている。
今日の自治体や国の現場には、「行政のスリム化」の名のもとに、出来るだけ業務を外部委託しようという流れがあり、そのなかで技術系職場はどんどん縮小削減が進められている。もはや技術職としての指定席どころか、彼ら技術系のポストそのものがきわめて不安定になってきているのである。縮小してどうするのかといえば、基本的な方向は「技術的業務の外部委託」である。
もちろん外部委託がすべて問題かといえば、決してそうではない。特殊な分野も含めて、自治体や国の内部ですべての業務を遂行することはまず不可能であるが、現在起こっている問題は、本来自治体や国が責任を持ってやるべき業務までがどんどん外部委託されているために、地域住民の願いとの間に大きなズレが生じているのではないかという問題である。
先のシンポジウムでも、会場討論のなかで議論は対立した。「高い技術力を持った公務員など要らないし、それは不可能なことを望んでいる。公務セクターの役割とは、明確な目標像を提示することと、公正さの維持に限るべきだ。あとは民間で全部できる」という意見に対して、「その目標像を具体的に描くためには、やはり行政側に具体的な企画力と市民が判断するに必要な資料を的確に作成する能力が必要であり、それには高度な技術力と理解力を備えた公務員が要る。彼らに必要な技術とは決して細部設計や数的計算力ではない、いわば総合的な技術である」といった議論である。
まちづくり分野における外部委託の流れは、現在ますますエスカレートしており、まちづくりの分野では、自治体や国の事業推進のための具体的な「計画」「設計」「工事監理」「維持保全」はもちろん、たとえば行政の基本的な方針である「自治体としてのまちづくり政策」、あるいはその具現化である「基本構想の策定」までが外部コンサルタントと民間事業者に委託され、さらには公共事業をまるごと委託するということが盛んに行われるようになってきた。
廃棄物関連施設や上下水道施設の分野での民営化への動きはすでに相当進んでいるが、さらに加速しつつある。水道の分野では第三者委託への方向を明確に位置づけた2002年4月の改正水道法以来、マネジメントのアウトソーシングの動きは全国的に進み、さらに建設を含む完全民営化への方向も盛んに議論されている。
上下水道分野での完全民営化を進めてきた先進国はイギリスで、イングランドとウェールズでは1989年に上下水道事業を民営化し、今では10の上下水道サービス会社が事業を行っているという。ただ、典型的な地域独占事業であるために、事業運営における公正さの確保には相当な困難があるとの指摘がされているが注1、事業規模が大きいだけに、財政危機のなかで完全民営化による自治体経営のスリム化は大いに魅力的であるとして、わが国でも各方面で具体化にむけての検討が真剣に進められている。
さらに、自治体まるごと民営化の動きがアメリカで進んでいる。2005年に誕生した人口9万9千人のジョージア州フルトン郡サンデイ・スプリング市では、市の運営は約350人で行われていて、内訳は市役所の職員が4名、民間企業であるCH2M HILL OMIの社員が135名、警察と消防が210名であるという。警察と消防だけは同社の委託範囲から外されている。 
 日本に比べると、アメリカの自治体の業務内容は限定的なので単純には比較できないが、その「効率の高さ」は驚異的である。また同市の場合、市議会は市長が議長、市民参加の審議会形式を取っており、議員は6名とのことである。その結果としてサービスが低下したかというと、まったくその逆で「市役所を訪れた市民が笑顔で帰ってくれること」を目標に、例えば、電話は原則2時間以内に折り返す、といった細かいことまで決めて、満足度を上げる努力をしているという。その他、ある業務については隣接自治体と公用車とスタッフを兼用して、車のステッカーを付け替えたり、ユニフォームを着替えたりして対応している、という効率化事例もある。こうした努力の結果サンデイ・スプリング市の固定資産税は、隣接する町の半額になったとのことで、その影響はすでに隣接各市に及んでいるという。注2

2 技術者の世界が全体的におかしくなってきている、という問題
こうして技術業務の多くが外部委託されるにしたがって、行政内部において技術的な修練を積み、技術力を蓄積するという機会が減っており、とくに公務員として採用された若手技術者の技術的な力量に不安が生じてきている。また、年輩者においては管理職になると日進月歩の技術の現場から遠ざかることで、もはや時代についていけなくなってきているという問題が生じている。
そこで第二の問題は、以上の流れと裏腹の関係にあるが、行政内部の技術者だけではなく公務的技術業務の外部委託の受け手であるコンサルタント企業や業務委託の請負企業の技術者たちの技術的な力量にも不安要素がひろがっているという深刻な問題である。
「外部委託」した技術業務の過程と成果内容については、委託者側である行政内部の技術者が「指導」し、成果をチェックする立場にあるわけであるが、現実問題として彼らの力量のレベルで、それをどこまでシビアにやれるかという問題が起こっているのである。つまりチェックする側の委託者である行政内部の技術者の技術レベル低下を反映して、厳密さに欠ける成果を平気で提出するうちに、受託者の側の技量までがどんどん低下している可能性が否定できないのである。そしてその背景には、企画・計画業務についての「設計入札制度」や、業務請負の分野でも競合企業間の叩き合いによる「低価額入札」という、もっと深刻な問題が存在している。
先日のシンポジウムには、少数であったが上下水道関係の機械系の公務員技術者も参加しておられた。現場ではマネジメント業務は外部委託がほぼ百パーセントに近いうえに、まちづくり系とは異なって、社会的な監視がほとんど届かない分野であるだけに、請負側も独占的な立場にあるという。しかも、かつては「睨みの利く」腕の立つ先輩方がいてシビアなチェックをされていたが、次々とリタイアされていったなかで、どうみても割高な見積もりを容認せざるを得ない現状がある。自分としては個人的に技術力を高める努力もやり、しばしば内部設計などを試みて相手側を牽制しているのだが、同僚の様子を見ていると孤軍奮闘の空しさを感じる場合が多い。このままでは公共セクターでの無駄な支出がどんどん膨んでいくのは確実であろうと語っておられた。
一方、民間側のコンサルタントや民間審査機関および請負企業の技術現場でも、じつは深刻な事態が発生している。ここでも団塊世代のベテランが一挙に定年退職を迎える一方で、若手の優秀な技術者が、仕事に情熱を感じないとして次々に転職して行くという問題である。近年入社してきた若手の方は、いろいろな技術を学びたくても、仕事の量が減り、おまけに先輩たちが経験したようなダイナミックで興味深い現場に出会えることなど滅多にない。現場に立って一から自分で考えるのではなく、既存のマニュアルをいかに適用するかというマニュアル万能主義、ルーチンワークばかりの世界にどっぷりつかっていると、このままでは先輩に追いつき追い越すだけの技術力がいつまでたっても身に付かないと焦る。
世間から批判の多い、税金の無駄遣いの「不必要な公共事業」などの後ろめたい仕事はやりたくないし、耐震偽装のような不法行為は論外としても、法にすれすれの裏技を教え込まれるといったことも結構多くある。しかも発注側の行政内部の技術者たちが、力量的にも、ときには人間的にも尊敬に値せず、重要なポイントを見落としたり、的はずれな命令をしてきたりする。公務員に比べたとき、こちらは残業が多い割に給料が安く、先行きは大いに不安だということで、コンサルタント業界や請負業界に夢を持って入ってきた優秀な人材の多くが、いまの職場に見切りをつけて退職して全く違う業界に去っていくという。技術現場の空洞化は、いよいよ深刻化しつつあるのである。

3 まちづくりの助っ人としてのプロフェショナルを求めて
さきのシンポジウムでは、編集者で元東京都議の青木菜知子さんから、市民の目に映る土木・建築の技術者像は、橋を架け、道路を拓き、ダムを造る、『黒部の太陽』が格好よかった時代から、今では耐震偽装、不要な公共工事、談合、天下り・・・のダーティなイメージになっている。しかし市民はやはり公務技術者に大いなる期待を抱いている。それは彼らこそが、総合的な視野に立って行政横断的に現状の把握と解決策を考え、住民や政策決定者が選択できる選択肢を増やすことの出来る唯一のポジションにいるからだ。それだけに技術力を磨き、なおかつ住民と普通に話せる生活者で居てほしいし、工事などの必要性をしっかりと説明でき、人の話を受け止め、議論でき、合意点を見つける人で居てほしいとの意見が出された。
五十嵐敬喜氏からは、官僚と政治家がいまや一番尊敬されない職業となっている現状のなかで、役所の仕組みはいよいよ最悪の状況になっている。三面張りの河川やテトラポット海岸、それに弁当箱型住宅の団地などの醜いデザイン、あと処理のことを考えない超高層や膨大なコンクリートの塊の構造物などなど、今の公務技術者の技術力には大いに疑問がある。今問題になっている地方の分担金の問題なども、現場の連中はみんな知っていた筈だ。こういう状況を内部から改革できるのか。もはや解体しかないのか。加えて学者たちはここまで状況が悪化することにどう対処してきたのか、と強烈なパンチが飛んだ。
これに対して、阪神淡路大震災と建築の耐震偽装問題を自身の問題としてまじめに対応し、ついに神戸市における新規建築についての「違法建築ゼロ」を達成するのに中心的な役割をはたした元神戸市違反建築担当の増渕昌利氏は、現行制度の中でも公務技術者がまじめに法を守るならば相当のことができると述べられた。震災の倒壊建物の多くが違反建築であったことに愕然とした同氏は、少なくとも適法であれば倒壊を免れた建物はもっと多くあったと考え、建築基準法にいう建築完了検査百パーセント実施にむけて担当のチームを挙げて奮闘し、ついに実現したのである。建築基準法はしばしばザル法と呼ばれたように、実態としては30パーセント以下という自治体が多かったのである。
その場面で、もし技術力の無いものが「違反建築」を「摘発」し「改善命令」を出しても決して問題は解決しないと同氏は確信したという。現場に足しげく通い、状況をよく理解し、「改善」のための的確な「指針」を出して相手を納得させるだけの技術力に加えて消防との連携があってはじめて百パーセントが実現できたとのことであった。
さらに同氏の発言では、この一連の仕事が「技術者としてとても興味深いテーマで、大いにやりがいがあった」と述懐されていたのが印象的であった。本来行政内部でやるべきとされていた確認審査や完了検査業務は、「法」の範囲をがちがちに守って審査するだけの業務で、申請者にはさんざん文句をいわれて不愉快な思いをすることが多く、従来から担当技術者は苦痛を強いられる業務とされてきた。できれば「担当したくない」業務であったからこそ行政内部から外部審査機関への「下請け」がスムーズに進んだ側面がないではないし、その故にであろうか、深くこの問題に取り組んできた研究者は極めて少ない。研究者たちも意識的に避けてきた分野なのである。それが「面白くてやりがいがある」というのだから、これは同氏が公務技術ならではの専門的技術の新たなフィールドを発見したというべきであろう。
国土交通省淀川河川事務所長であった宮本博司氏は、設置した「淀川流域委員会」の運営において、同様の官製委員会での従来からの常識を覆して、完全な「予定結論なし」で臨んだという。これまで「住民説明」において「ひた隠し・結論のおしつけ」が当たり前だった流れでは、もはやいかなる公共事業も実現しない時代に入ったと確言された。全ての情報を公開し、議論をつくして結論に至るための資料を誠実につくることこそが公務技術者の役割であり、そのためには自らにも高い技術力がなければならないし、一人の人間として胸を張って生きていく勇気をもって誠実に仕事をすれば、実にさわやかであるという同氏もまた、公務技術の新しい専門分野を拓くとともに、技術者として良心的に生きる道をさぐりあてた人物の一人であると感じた。
先のシンポジウムの各氏の発言をすべて紹介する余裕は無いが、とくに結論を出すということが目的ではなかったため、論者の感想を述べて本論をしめくくっておきたい。
まず論者の専門分野である「まちづくり」の分野でいうと、おそらく多くの市民は「まちづくりの助っ人」として、真に力量のある技術者が、自治体や国の行政機関のみならず、民間コンサルタントや施工業界のすべてに是非とも必要だと考えていることと思うのである。
とくに災害時に市民が頼りにするのは行政の公務員技術者である。なにかあったときに人々の必死の訴えをしっかりと受け止めてくれる人と場所があってこそ、安心安全なまちと言えるのではないか。そして、緊急時において問題に即応するには、やはり実戦経験に裏付けられた相当な技術力が要る。そして人間的な暖かさをもって、訴える人への対応をきちんとやりつつ、同時に広い視野で、いまなにをなすべきかを判断する能力が必要である。こういう「頼りになるプロフェショナル」をこそ育てたい。
安全で美しく住み良いまちづくりや地域づくりを進めていくために、若い人たちには大いに技術力を磨いてまちづくりや建設の世界で活躍して欲しいし、現在すでにこれらの世界で活躍している技術者たちも、もっともっと前向きの「いい仕事」をどんどんやり、その過程で自らの力量を高めて国民の期待に応えたいと心から希望しているのではないかと思う。
もともと「ものづくり」や「まちづくり、地域づくり」などの技術屋の世界は、まさに縁の下の力持ちであり、「口先一つでカネ儲け」が出来る世界ではない。その道でしっかりと技術的な研鑽を重ね、現場で努力していい仕事をやり、その結晶がかたちとなって人々の暮らしを良くしていくという、地味ではあるがわくわくするほど夢のある分野なのである。だから、そういう世界に入ってすばらしい仕事につきたいと願っている優秀な若ものたちは、世のなかに結構たくさん居ると思う。かくいう筆者らも、そのような夢を追い求めてこの道に入った一人であった。
しかし、いまの現場の実態は、そのような夢を描けるような状況にはないし、じっさいに彼らの取り組んでいる技術的業務内容そのものが、およそ市民の求めているものとかけ離れている場合が少なくないという現実がある。とくに、市民が求めている技術的成果を真に実現するには、いわば要(かなめ)の役割をはたすべき立場にある現在の行政内部の技術者たちの技術力のレベルが、残念ながらかなり心もとないという事実も覆いがたい。したがって、このような現状を根本的に打開しなければ、さきの「行政内部に技術者は不要」論を乗り越えることも決して出来ないように思うのである。
先のシンポジウムでは五十嵐敬喜教授から、なぜ追い詰められている当事者の技術者自身が、自らの立場を守り発展させるために起ち上がらないのか、との鋭い指摘があった。その通りであると思う。現場発の、地に足の着いた新しい公務技術者運動が起こることを心から期待したいし、応援したい。

by honmachilabo | 2009-09-16 23:01