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幻の江島醤油のはなし

西日本新聞2009年1月9日づけ
長崎在住時代に出合って惚れ込んだ「地しょうゆ」があります。当時崎戸町江島、いま西海市の小離島で、土地の女性たちのてづくり醤油です。原料は島でとれた大豆。浜辺で枝ごと乾燥して、広場に敷いたゴザの上にたたきつけて大豆を取り出して集め、これを大釜にいれて稲わらy柴でを燃やして茹で上げたあと、これに麹まぜて発酵させ、時々天日にさらして雑菌をとり、ころあいを見て、島の製塩所でできた塩とで大甕に仕込む。これが醤油のいわば原酒で、この醤油のもとを一日100回×100日もの間、毎日毎日、ながーいしゃもじを大甕に突っ込んでかき混ぜ、最後に甕に入れたザルの中に浸透させて汲みだす、文字通り手塩に掛けて作って居られた「しょうゆ」なのでした。最後に火入れをして発酵を止めるのですが、色は薄口、とても上品な味で、これで魚の煮つけなどをすると、素材の色をころ座主にとてもいい味に仕上がる。それでも便のまましばらく置いておくと色がぐんと濃くなる、という生きている醤油なのでした。当時地元では市販醤油よりも安価で小売もしておられましたが、これほどのものをもったいな井、と地元の町役場と組んで、売り出すプランをしました。すべて一升瓶であったのを、750ミリリットルの小瓶にし、ラベルをデザインしたりして販売にも若干協力させていただきました。由布院玉の湯の売店にも置いていただき、結構売れたようです。われわれが関西に居を移した後もしばらくは続いていましたが、生産者の高齢化などもあって、生産中止と伺い、惜しいなあと思っており増しところへ、このほど西日本新聞から電話取材が入り、長い長い電話のあと、次のような記事にまとまったようです。

応援団 「幻の醤油」がある限り
2009年01月13日 10:12
田中サワさんが造る醤油は透明度が高い。向こう側が透けるほどだ 褐色の液体に、濁りはまったくなかった。
 
 大豆が詰まった仕込み用のかめ。中央に差した竹かごに液体が染み出す。ひしゃくですくった田中サワ(70)。「ようできとる」。口元が緩んだ。

 原料は大豆、大麦、塩、水のみ。上質のウイスキーのような色合いだ。なめてみると強い塩気が口に広がり、大豆のまろやかな風味が舌に残る。

 集めた液体は加熱処理して一升瓶で寝かせ、その上澄みを小瓶に詰め替える。さらに数カ月発酵させれば「江島醤油(えのしましょうゆ)」が完成する。300年前から受け継がれている味。栓を開けるとシャンパンのように「ポン」と音がする。酵母が生き続けている証拠だ。

 長崎県西海市の江島。県本土と五島列島の真ん中に浮かぶ。渡船場近くにサワが醤油を造る農産物加工センターがある。

   *    *

 片寄眞木子(まきこ)は、その味にほれ込んだ。長崎県内の短大の食物栄養学科教授だった。

 離島の食生活を論文のテーマに選んだ。塩分摂取量や尿の調査を依頼する中、上げてもらった家で江島醤油に出合った。

 「これほど貴重な醤油はほかにない」。10年間通った現地調査が終わるころ、合併前の旧崎戸町が加工センターを建てた。そこで醤油を造ると聞き、眞木子は「うに飯」「鯛麺(たいめん)」など海産物と組み合わせた調理法を1枚の紙にまとめた。江島醤油は塩味が強い。一般の醤油と使用量が違うため、購入者が困らないよう、1枚ずつ添えるレシピだ。瓶に張るラベルをデザインしたのは、絵心のある眞木子の夫だった。

 200人が暮らす江島。4人に3人が65歳以上。3軒あった旅館はすべて廃業した。学校に通うのは中学生2人だけ。

 自給自足が当たり前だった江島で、醤油は各家庭で造っていた。今、島全体で醤油を造るのは5軒ほどに減った。

 5人で始めた加工センターでの作業も、2年前からサワ1人に。かつては、かめ23個分を造っていた。サワ1人が造れるのは6個分。希少になった。最後の一滴まで、固定客が買い求める。

   *    *

 江島醤油のファンは島外にいても、沈みがちな集落を元気づけている。

 「『幻の醤油』造りを体験しよう」。3年前、西海市と雑誌「九州のムラ(現九州のムラへ行こう)」が江島へのツアーを企画した。狙いは、本気で後継者となる移住者探し。

 直前、同誌編集長の養父信夫(46)は江島を訪れ、醤油を味わった。加工センターで将来への不安を聞きながら、宮崎の炭焼き職人の話を思い出した。「作り手がいるなら、技術を教える」。目の前にサワたちがいた。

 ツアーに集まったのは福岡の家族1組だけだった。それでも同じツアーを二度計画した。さまざまな郷土料理を口にした養父だが、江島醤油の記憶は舌を離れない。

 元日、サワに年賀状が届いた。今は兵庫県に住む眞木子からだ。「新しい醤油ができたら、お願いします」。大学を移ってからも、眞木子は江島醤油の製法を論文にまとめていた。

 「もう、ほかの醤油は使えませんよ」。常連客から電話も入る。醤油は料理の引き立て役。それが過疎の島では、つつましい暮らしを引き立てる。
 5日がサワの仕事始め。熟成中の醤油が、かめの中で優しい香りを放っていた。 (敬称略)

=2009/01/08付 西日本新聞朝刊=

by honmachilabo | 2009-01-13 23:50  

『まちづくりの危機と公務技術』新著出ました!

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友人の中川学さんと二人で、久しぶりにやや硬派の本を出すことができました。出版社は、先に拙著『いいまちづくりが防災の基本』という本を出してくださったイマジン出版です。こんな本を書きたいとかねて考えているのですが、という小生のつぶやきに編集者の青木さんが、それいいですねと引き受けてくださったのです。類似の本がないし、技術者の世界というのはブラックボックスなので、きっといい本になりますよ、と励ましていただき、二人でうんうん言って3年近くかかって、ようやく形になりました。かなり刺激的な内容なのですが、とりあえず目次だけ紹介しておきましょう。関心のある方は、何らかの手段で小生宛にご連絡ください。
青木さまからは、この本について、次のようなコメントをいただいております。そうか、これまで、あまり誰も取り上げてこなかった、珍しいテーマだったのだ!自分ではうっすらとしか気づいていなかった視点での評価をいただきました。

1、これまで、専門書以外に公務技術・行政の技術部門に関するわかりやすい本はありませんでした。 この本は、役所の技術部門はどのように存在しているのか教えてくれます。
2、外部への業務委託や団塊の世代の退職が続き、公的な専門性が失われてきています。そのことが、どのような事態を引き起こすのか、世間に知らせたのが、耐震偽装問題でした。この本は、技術者が読んで、行政のあり方を考えていただくと同時に、一般の人に現場からの警鐘を届ける大切なことがたくさんかかれています。
3、行政マンの良心とは、住民と進める行政改革とは、まちづくりに必要なものは公務技術者と住民のよい結びつきということが納得できます。そして、この本には、多くの後輩への励ましや今後の社会の発展に託したい思いが感じられます。勇気と情熱をもって自らの技術を住民のために生かしたいと願う職員を養成するときに、ぜひ、最初に読んでほしい本だと感じました。技術者だけではなく、一般の職員にもぜひ読んでいただきたいものです。

目次
序章*    公務技術の危機と市民の願い
第1章**  「住民参加」のまちづくりの現場で考えたこと
第2章**  公務技術者の力量とは―そのあり方を考える
第3章*  マニュアル依存では困るのだ 
第4章**  技術至上主義の落とし穴ー都市の地下ダム・穴あき式ダムの重大欠陥
第5章*** スケールメリットの幻想―流域下水道・河川計画高水量・超高層住宅
第6章*  公務技術者が頑張らなくて、誰が?ー耐震構造の偽装をめぐって
第7章*  技術力あってこそ技術者-公務技術をどう磨くか
あとがき***

*片寄担当 **中川担当 ***両名担当

ごあいさつ   <この本を書いた動機など。徒然なるままに・・・> 
 こんな相変わらずの青臭い文章を書くと、最近の学生さんには「せんせって、メチャ熱いっスねえ」と冷やかされるのがオチですが・・・

<公務技術者たちの目が死んでいる・・・>
 最近、とくに役所などで出会う、いわばわれわれの後輩にあたる技術屋さんの目が死んでいるように思えてならないのです。少し聞いてみると、仕事は会議と委託発注の契約書作りみたいなことが大半で、事業の地元説明や委員会などの場でも、資料づくりから説明まですべてコンサルまかせ。発注者として委託成果の検収をするわけだが、チェックする力量がないから、かたちだけの検査。日頃そんな仕事ばかりやっていると、自分に技術力がまったく身につかないとぼやく若手たち。もう少し年配になると、ほとんどあきらめて悟りの境地?なのか、意欲どころか悩みすら無いように見受けられます。いずれにしろ顔は能面、目はうつろで輝いていない。
 加えて、外部委託されたコンサルの技術屋連中が、これまた腐っている。仕事の取り合いでようやくありついてもろくでもない仕事ばかり。おまけに叩きあいだから単価は安く、サービス残業で賃金は安いし身分は不安定。できるやつほど、もう嫌だとまったく違う分野へと転職していく。これらの連中みんなひっくるめてわれわれが定義した「公務技術」の担い手たちみんな、目が死んでいるのです。
 もったいないなあ、難しい勉強をやり、厳しい試験を経てきた、現場でしっかりと鍛えれば間違いなくいい技術屋になる優秀な連中を、このように使い捨てにする社会はおかしい。一方でわが国土のありようを眺めるに、危険が一杯、バリヤフリーどころかバリヤ・フル、醜い町、死んだような商店街、来るべき大地震で阿鼻叫喚の地獄と化すこと間違いない老朽化した木造密集市街地。豊かな農山漁村が限界集落として切捨てられ、かわりに進められる無駄な公共事業とハゲタカ民間開発で大事な自然環境は台無しにされ、歴史ある町並みがずたずたに壊され、やがては幽霊タワーと化す可能性が高い危険一杯の超高層マンションの林立などなど。この、問題山積、住みにくいわが国の地域やまちを、本当に住みよくいいまち、そして元気な地域にするのに必要な技術的な仕事は、山ほどある。
 「給付金をホテルのバーで盛大に消費すれば経済の循環が良くなる」などという、ふざけた「政策」にうつつをぬかす暇などない危機的な状況。横浜市長が言いたかったであろう「おぼっちゃまのお恵み給付金など、屁のツッパリにもならぬ。その金で全国の学校耐震工事を」には大いに共感を覚えましたが、それを実現するためにも、やはり「腕のいい技術屋」が大量に必要なのです。今の「耐震補強」はむやみにカネをかけ、見栄えも悪く工事に時間がかかるのが常識となっていますが、腕利きがツボを抑えてやれば、ずっと安く早くスマートでいいものが出来そうに思えてなりません。そういう彼らに手がけてほしい仕事は世の中にはやまほどあるはずで、やがて仕事が殺到するその日のために、技術屋にはつねに目を輝かせて、腕を磨いておいてほしいのです。
 本書では、市民の側にたつ「逆コンサル」とでも言うべき国土問題研究会に参加して腕を磨きませんか、と呼びかけています。もちろんめしのタネである自分の持ち場は大切ですが、技術の力量アップのための場は必ずしも今の職場だけではないのです。アフターファイブや休日には、各地の人々が切実に「助っ人」を求めている現場に、一個人、一市民として腕のたつ先輩や仲間たちと出かけて、現地主義、総合主義、住民主義の国土研三原則(わたしは、そこへ「個人責任・出しゃばらない」を勝手に加えて五原則にしています)での他流試合で修業することで自らを鍛えるのです。これがわれわれ自身が経験した国土研の効用です。真摯な姿勢と高い技術力をもち、無謀な開発に対決する人たちのブレーンとしてかなり有効な役割をはたしているために、しばしば「アカの巣窟」などと悪意にみちた宣伝をされていますが、じつは小生はこの国土研の副理事長の一人であり、共著の相棒の中川さんは現職の公務技術者である傍ら、事務局長の重責を担ってくれています。

 先日とつぜん、長らく大分市議会議員をされた平尾広喜さんから、『貫いた人生』という分厚い本が送られてきました。貧しい漁村から一兵卒として中国侵略に駆り出され、その後俘虜としての艱難辛苦を味わい、時の指導者に騙されていた真実を知るや、中学校にも行けなかった悔しさをばねに懸命に勉強して、その後の人生を人民の幸せと平和のために尽くそうと努力を重ねてこられた、波乱万丈の氏のすさまじいばかりの努力の軌跡。その「貫いた人生」を自分史としてまとめられたものです。
 平尾さんって誰だったかな、とページをめくってみると、なんと小生が30歳代の半ばに出会ったくだりが登場していました。1970年に長崎に赴任して以来、九州全域を舞台に大変な勢いで進む数々の無謀な開発事業に出会う中で、訴訟案件での弁護士のように、「開発をする側」だけでなく「される側」にも専門家がついて、反対するだけでなくどんどん「対案」を提起して対等にたたかえる社会にしなければならないのではないかと考えて、国土問題研究会に自主的に参加しました。
 ものづくりが好きでこの道に入った人間としては、「何もやるべきでない」と主張するのも対案の一つですが、やはり開発を求める背景を考えると、その需要にも対応しつつ、よりうまく問題を解決できる「対案」を考えて、開発圧力のベクトルの方向を変えるのが適切な場合も結構多く、そこに自分の生きる道がありそうに思ったのです。
 まもなく、当時の理事長の木村春彦さん(環境地学)とご一緒に現地調査して、駆け出しの身ながら懸命になって「民間大規模宅地開発に伴う下流地域の災害危険とその対策としての河川改修案」の提言をまとめました。そしてその提言書を武器に、当時市議にぎりぎりで当選されたばかりの平尾さんが、市民を結集して当局に喰らいついて奮闘し、「スッポンの平尾」の異名をつけられつつ、ついに河川改修工事を先行実現させて地域の安全度の向上に成功したという記事を見つけました。まさに、忘れていたころの業績で評価されて、突然ノーベル賞をいただいたという感じで、とても嬉しいことでした。
 ちなみに今回のノーベル賞の益川さんはトシヒデと小生と名前が同じ読みであり、テレビで呼び名が出るたびに気になります。この人物はユーモアたっぷりで、なんでも大学の労働組合でも頑張っていたとか、話し振りからもけっこう視野の広い、できる男のようです。前に賞を貰った野依氏は、四角い顔に見覚えがあったと思ったら、ラグビー部に1年ほど在籍していた後輩で、こらっ全力でタックル!と小生が練習でよく怒鳴りつけていた記憶があったような・・・といって今は何の関係もありませんが・・・

片寄俊秀
2009年1月9日。今日はなんと71歳の誕生日でした! 

by honmachilabo | 2009-01-07 22:27  

2009年。今年もよろしくお願いします

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by honmachilabo | 2009-01-01 07:51