<   2008年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 

味舌(ました)小学校の模型をつくりました

a0064392_13574848.jpg
a0064392_1358783.jpg
大阪人間科学大学のすぐお隣にあって、なんと開学130年を超えるという歴史のある味舌(ました)小学校が統合するとて校舎移転することとなり、その「思い出の玉手箱づくり」を大学の研究としてすすめることになりまして、小生は申し出て建物の模型とペーパークラフトの制作を担当しました。長崎時代の同僚であった松尾有平さんに来ていただき「模型の鉄人来る」ということで学生たちに基礎的な指導をしていただいたおかげで、結構いいものができました。閉校式のときに、子どもたち全員にペーパークラフトを配り、人間科学大学と薫栄女子短期大学の学生たちの指導で、つくるワークショップもやりました。これは結構感動的な風景だったようです。あとはすべて先方に寄付することにしたのですが、模型にはアクリルカバーがいるということで、てらもと工房の寺本さんに土台作りをふくめて後始末をお願いしました。ついでにこれプロが作るといくらぐらいでしょうかと尋ねたら、模型が130万円、ペーパークラフトがワンセット1500円ぐらいかな、との返答でした。もちろんんなには取れない素人仕事のレベルだけど、正式に依頼される機会を作れると学生たちのよきアルバイトになるのだがなあ。(関学時代に国土交通省からの依頼で淀川河川敷の巨大な模型を作り、その時にはアルバイト費で学生が二人海外に旅立っていったし、長崎時代には出島の巨大模型づくりを長崎市から依頼されて、これでオランダに旅立ったやつもいました。そうそう昨年度はもうひとつ「やんばる」の地形模型をつくって関根先生にさしあげ、お礼をいただいて沖縄料理をたらふく食ったなあ。) もちろんいつもながら一番楽しんだのは、模型づくり大好き人間の小生でした。この大学は毎年契約更新の身であり、幸い来年度もまだ首がつながるようなので、今度は何の模型に取り組もうかしら・・・どなたか仕事くれません?けっこうよか仕事しまっせ!

by honmachilabo | 2008-03-24 13:57  

石上神宮(いそのかみじんぐう)の鶏図

a0064392_117192.jpg

天理では、石上神宮にお参りしてきました。この神社ではたくさんの鶏が木の上で堂々と暮しています。鶏はトリなんだ、とあらためて認識した次第です。むかし長崎でチャボを飼っていたとき、猫の襲撃を避けて大屋根まで高々と飛んだのを思い出しました。あまりに見事なお姿に、つい伊藤若冲の鶏図のまねをしたくなり、あらためて若冲の偉大さを認識した次第。
a0064392_1142214.jpg

by honmachilabo | 2008-03-23 11:12  

にゅージジィ宣言

a0064392_3335379.jpg
2008.3.2(日)毎日新聞
なにが嫌じゃというて、新聞に取材されると、なぜか年齢を書きよるのがイヤだ。とうとうオレもそのトシになったかとへこむ。まあ、これだけはお互いしゃあないけどな。こういうことをわざわざ言うこと自体が、ジジィたる証拠ではあるが、言わずにおられん・・・。
だいたい常識的には、ジジィというと、臭い、じじむさい、偏執狂、若者にすり寄る、ケチ、ゲートボール、演歌、民謡、浪曲、念仏、病気、腰痛、神経痛、静かな自然の中を好む、温泉、シルバー人材、ジパングクラブ・・・というイメージがあるが、この概念を少し変えてほしいなあ。近頃のジジィもババァも結構おしゃれだし、いろいろ懸命に努力をしとる。早い話がオレだって、静かな自然も嫌いではないが、ジャズやロックがガンガンなるのも好き。病院でぺちゃくちゃなどとんでもない。書も絵も好きだけどイラストレーターにインデザイン。ラグビーはさすがに無理、ゴルフは大嫌いで、今はテニススクール。同年者に人気の社交ダンスは苦手で実はゴーゴーとタップが好き。ユージローも嫌いではないが、演歌やカラオケよりボサノバにラテンにクラシックたまにコバにアミン。お経よりもコーラス。民謡は結構好きで、最上川舟歌とか長崎ぶらぶら節などそれに津軽三味線や沖縄民謡もいい。地域に老人クラブがあると思うが、今のところ誘いもないし、探してまで入る気はない。とはいえ昔の同級生がぽろぽろとあの世へ旅立っていくと、確かに不安は募る。いよいよヨタヨタになったらどこかのホームへと言っても、入れてくれそうなところがないし、第一、転職が多かったこともあって年金が少なく、入居のための蓄えがない。だから医療費のアップは何よりこたえる。なんとかいつまでも働く道を探さねばならないし、いつも何か前向きにやりたいから、本気で働きたいし、カネもいる。老後は旅をしてというのもわかるが、オレの場合は若いころから1961年の東アフリカを皮切りに世界を旅しておそらく50国は超えると思うから、あとは懐と相談して狙いを定めてもう少し旅をするだけでいい。阪急百貨店が作ったメンズの専門店をのぞいたら、結構おしゃれジジィが群がって居た。これまでの高齢者対策といわれるもののすべてを見直す必要があるのではなかろうか。基本は、花鳥風月のまちづくりをめざすこと。じっくりといいまち、いい社会、いい国をつくることだと思う。それにしても、近頃は行政にカネがないとやたら強調されて、国民はそう思わされているのが悔しい。大阪府だって、府会議員たちがとんでもない土地を買わせたり、とんでもないハコをつくったりした時代があり、それがどれもこれも数千億円規模で焦げ付いているのが大きい原因の一つだ。この責任追及は全くされていない。当時大儲けをした連中を徹底的に追求して彼らから吐き出させる必要がある。しかも世の中には巨額の埋蔵金がある。ターゲットは明確に防衛省だ。何百億円もする戦車や迎撃ミサイル、イージス艦、そして三十万人もの自衛隊。年間何兆円もつぎ込んでいる兵器や軍隊でこの国が守れるわけがない。日本に向かう食糧や石油を積んだ船には、日本人の船員は乗っていないから、これにちょっと悪さをしただけで船は一切動かない。兵糧攻めこそこの国を攻めるならばもっとも正しい戦法だ。地下街でちょっと悪さをすれば大都市はパニック。この国の機能を止めるのは簡単だ。自民党や防衛族や二世議員たちが進めている軍事産業で経済を回すインチキな仕組みを、何とか根底からひっくり返さないと花鳥風月には程遠い・・・・そろそろ我慢が出来なくなった。これがジジィの特徴なのだろうが、過激な若者がいないものだからしゃあない、そろそろ過激(とも思っていないが)な「にゅージジィ」の出番かな。

by honmachilabo | 2008-03-23 05:06  

つうは飛んで行った

a0064392_1045389.jpg

「つうよう、つうよう・・・つうはどこさいっただ」与ひょうのつうを探す声。そのとき、外では子どもたちの声が「あっつ、ツルだ!ツルが飛んでいく」
ご存じ、木下順二の名作「夕鶴」の最後の場面である。一貫教育だったので中三だったか高一だったかはっきりしないのだが、秋の学園祭でわがクラスはこの芝居に取り組んだ。与ひょうの役は将太。今も六本木でイタリアンのシェフで活躍しているが、この男が天才的にうまかった。普段からぼーっとした感じがあって、与ひょうはまさに当たり役であったが、彼の名演技で主役の「つう」をつとめたえみ子が、ものすごく引き立った。むさくるしい与ひょうの住まいがセットされた暗い舞台のなかで、ほの明りのライトで浮かび上がった白い着物につつまれた「つう」。その悲しげでたおやかな姿は、今も目に焼き付いているほど美しかった。与ひょうの願いに何とか応えたいとうなずく、消え入りそうな声がまた良かった。そして、このときのわたしの役どころといえば「惣ど」。もう一人のワルの「運づ」(大病院から一応リタイアしたが内科の名医として名高いコウイチ)とともに「なあ、与ひょう。つうにどんどん織らせろ。みやこさ持ってけば、うんとこさゼニになっだ。」と与ひょうをけしかける悪いやつ。のちのちまで後輩たちがわたしの声色を真似していたほどだから、これがまた当たり役だったようだ。そしてあれ以来、わたしはずっと三枚目・・・悲しいことに、つい先日「つう」が亡くなったとの報せが来た。病に伏して以来、彼女は友人たちの誰にも病んだ姿をみせないまま旅立っていったという。えみ子は「つう」そのままに、人生をまっとうしたのだ。
たまたま3月の半ば、豊岡のコウノトリの里を訪れるチャンスがきた。あの「鶴の恩返し」のツルは、じつはコウノトリであったというのが最近の通説なのだそうだ。すでに数羽がゲージから放たれており、大空を悠々と飛んでいる復活したコウノトリの一羽は、たしかに「つう」のように見えた。

by honmachilabo | 2008-03-20 11:23  

倉吉市(鳥取県)に行ってきました

a0064392_558838.jpg

鳥取大学のせんせいから突然電話があって、倉吉のまちづくりに学生たちが参加しており、そのシンポジウムをするので講演に来ませんかとのお誘いがあった。『まちづくり道場へようこそ』(学芸出版社)を読んでとのことであり、特別嬉しかった。倉吉は、『スケッチ全国町並み見学』(岩波ジュニア新書1987)で紹介しており、その時にも町並みのスケッチに行った。その時宿泊したのは関金温泉で、思えば学生時代に温泉探検の旅と、倉吉市庁舎の見学(当時香川県庁舎の設計で気を吐いた丹下健三さんの作品として、建築を学ぶ学生たちには必見とされていた)に一人で二度訪れたことがあって、その後の様子を確かめにいったのだったが、温泉街にあまり魅力を感じなくてがっかりした。そこで今回は、一日早く2月29日に現地に入り、三朝温泉にターゲットを定めた。三朝も一度行ったことがあったが、今回はネットで検索して値段も手ごろで、あまり期待しないでいったのがよくて、小さな木造の旅館が、まさしくあたりだった。さすがに天下の名湯で、泉質がいいし、その宿の料理がまた申し分なかった。長崎在住26年ですっかりサカナに舌が肥えてしまった不幸!のために、最近では滅多にうまいものにありつけない悲惨な状況を一挙に覆してくれたのだ。そして肝心の倉吉であるが、これがまた素晴らしかった。いちばん感動した話は、小生がその昔のスライドを整理してい出てきた風景がそのまま残されていたのであるが、良く聞くと、写真に出てきた、四つ角の酒屋さんは火災で焼けて、これを市民が力を合わせて出資し、それを行政が支えて見事に元通りの姿に復興したのだというのだ。景観がいい、と言うことももちろん大事だが、むしろ人を惹きつけるのは、こういういい話だと思う。だが、倉吉の人は大声でそういうことを語らないのがまたいい。ますます倉吉が好きになった。惜しいことに鳥取短大が出していた喫茶店が3月で閉店した。短大の学生さんがかいがいしくコーヒーを出してくれて、少しお話も出来たが、その言葉遣いの丁寧さに感動して、とても素晴らしい活動だと思ったのだったが。あとできくと、地域の方々が短大が学生を町に出すということの重さを、ほとんど理解されていないことがわかった。じつは特に女性が中心の短期大学としては、学外のいわば結構リスキーな環境!に学生を出すのは、とてもつらく、担当している先生方は、何かコトがおこらねばいいがと、毎日ははらはらしどうしであったと思う。だから、行政の補助金が切れたところで大学側は引き上げたかったのだと思う。地域のオジサン?たちが、毎日様子を見に行ってコーヒーの売り上げにも貢献して、大学がこの街にとってとても大切な存在だと地域のみんなが思っていることを伝えるとともに、何らかの支援も必要だったと思う。
鳥取大学の地域政策学部の学生たちが、町中にギャラリーを作っていたが、聞いてみると鳥取からの距離が結構あって、これもたいへん努力されていることがわかった。とくに学生たちの活動を支えている先生方のご苦労を聞くと涙が出た。毎回せんせいがワゴンで学生を連れてきているというのだ。あとの懇親会でもそのせんせいは一滴もお飲みになれない。いっそのこと学部ごとこの街に引っ越ししてきて、空いている町家をたくさん借り上げてまちぐるみ大学キャンパスにしてしまえば、全国最高レベルの素敵な大学になるのだが。
そうそう倉吉での今の話題は、デジャブをテーマにした不思議なマンガ「遙かな町へ」(谷口ジロー)の映画化だそうで、昭和レトロ、まさに昭和38年(大阪十三のみつや商店街と同じ年が対象)をまちのなかに復活させて観光客を呼び込もうと考えているのだという。「
a0064392_11421768.jpg

1987年にわたしが撮影した街角の風景は、火災で焼失したあと、市民の拠出金をふくめて下の写真のように、見事に復元されていた。
a0064392_11423064.jpg

by honmachilabo | 2008-03-19 10:58  

日本文化の空間学in天理

a0064392_9484283.jpg

近況写真が新聞に出ました。(奈良新聞2008.3.13)
2008年3月12日に天理市にて「日本文化の空間学シンポジウム」
まあ、奈良は小生の育った地でありまして、ご当地ということで小生が代表で登場したのでしょうか。久しぶりに、というか正確には生まれて初めて奈良盆地を大人のまなざしで山の辺の道から眺めていろいろ感じるところがありました。ちょうどその前に、理事の一人をさせていただいている奈良まちづくりセンターの機関紙に「景観」についての文章を書いたところでしたが、その文章は間違いでなかった、つまりこの地を古代の王朝の地に選んだ眼力、さらには天理教の「お地場」に選んだ眼力は、すごいものだったということを、あらためて確信した次第です。
a0064392_10213567.jpg

奈良まちづくりセンター機関紙2008.3
わたしの景観観(けいかんかん)
古来、美しい都市とされてきた都市や地域のほとんどが、ときの権力者の美意識によって統一的に形成されてきたことに思いを馳せるとき、人類は、はたして民主主義の現代においても、美しいまちをつくることができるのであろうか。目先の利益だけを追求する破壊的な連中をいくら説得してもと絶望的な思いが走るが、結果として金の卵を産む鶏を殺める愚かな行為であることをより多くの人に理解してもらい、数の力で押さえ込むしかないだろう。ただ景観のありようについての冷静な論議が必要であることはいうまでもない。
大和の地について考えてみよう。
まず大景観であるが、地震はともかくとして、全国を見渡したとき風水害からこれほど縁遠い地はない。ここに最初の王朝を築いた古代の権力者の眼力の確かさに敬服する。農業生産と生活の拠点である奈良盆地ののびやかな風景、その東側には春日奥山の原生林。西は吉野から大峰、大台ケ原へと続く深い山塊が連なる。その壮大な生態系のネットワークを適切に保全し持続させることが基本であろう。
中景観としては、奈良盆地から里山に至るあたりに、由緒ある個性的かつ魅力的な大小さまざまな都市や集落がキラ星のごとく存在していることに注目したい。それぞれの個性を存分に生かしたまちづくりをすすめれば、互いに競い合いつつ連携することで、全体として素晴らしい「面」としての景観が生まれる。これはドイツのロマンティック街道の「線」的な連携を超えるものとして、世界の人々に新しい感動の機会を与える。ここで大切なことは、互いに可視距離にあるだけに高層・超高層の建築を決して建てないことだ。
小景観としては、そこに住まう人々の小さな幸せを守るような、ほっとするまちづくりをひたすら進めたい。それが結果として美しい魅力的な景観をつくりだす。「ならまち」の何気ないたたずまいが人々を惹きつけるゆえんであろう。

by honmachilabo | 2008-03-19 10:16