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道場の看板は「みつや交流亭」で膝隠しに再利用

このほど三田市ほんまち通りの「ほんまちラボ」の建物を、家主さんが自宅の新築工事のために、諸財産をしばらく置くための倉庫として使用されることとなり、工事完了まで閉鎖されることになりました。というわけで、家主さんは店子であった片寄と、その後使用されていた長谷川せんせいの二人を「にり万」にてお接待してくださり(大家と店子の関係は親子も同然!という心をもったすばらしい大家さんとの出会いでありました)、これにて長らくみなさまにご愛顧いただきました「ほんまちラボ」の歴史は、第1期と第2期の役割を終了いたしました。新築工事完了後にふたたび長谷川せんせいがお使いになるのではないかと思いますが、とりあえず片寄の三田での歴史が一段落したことは確かです。幸い、お向いに中西さんがつくられた市民交流スペース「縁」ができて、地域と学生の交流などの場は確保されていますので、その面でのラボの役割は、よりすばらしいかたちで受け継いでいただいております。となると「非営利活動法人ほんまちラボまちづくり道場」の看板(写真1)は無用の長物になるわけですが、「看板を外す」だけでは惜しいなあ、とその再利用を考えているうちに、大阪市淀川区の三津屋商店街のなかにできた「みつや交流亭」で、運営委員である笑福亭仁勇さんの落語の舞台に必要な「膝隠し」に使えないかと思いつきました。そこでほんまちの住谷さんのところで、ほぼ半分に切っていただき、かんなをかけた立派な松材に片寄が大好きな木工細工を施して、見事に再利用されました。(写真2,3)なお、「非営利活動法人ほんまちラボまちづくり道場」は、住所を片寄の自宅に移し、NPOとしての登記は継続しております。とはいえなかなか実質的な活動が難しいので、バーチャル道場ということにしております。今のところ主たる活動は、関根せんせいが主宰されている「関西学院大学地域・まち・環境総合政策研究センター」と共催で研究会をやるだけでありますが、卒業生や関係の方々の社会でのさまざまな活動報告をメインにしており、とても刺激的な最先端の研究会になっております。来年3月頃に、また研究会をやる予定です。
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by honmachilabo | 2007-12-30 04:38  

鉄道博物館を見てきました

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日本最大と銘打った話題の鉄道博物館を見なければと、15日土曜日、朝早くホテルを出て、9時半には大宮の現地に到着したのですが、はや200人近くが並んでいました。お目当ては運転のシミュレーション体験と小型電車の運転体験のようで、あっという間に整理券がなくなりました。おそらく7時頃でも遅いのかもしれません。別に運転はどうでもよかったので、もっとゆっくり出かけても入場だけなら大丈夫のようでした。全体の印象は、以前感激したフランス・ミュールーズの鉄道博物館よりはやや小ぶりで、展示も比較するとちょっと落ちるなあ、とそれほど感激するようなものではなかったです。何しろ小生はほんものの「てつ」ではなく、「テツもどき」なもので。じつは期待していたのに、一番がっかりしたのは、売店にロクなグッズがなかったことです。「まちづくりビジネス入門」に引き続いて「まちづくりビジネス演習」という2回生向けの講義で、受講生8人たちと摂津のまちでなんとか「てつ」をビジネスのネタにできないものかと、ずっと考えてきたなかで、なにかヒントになりそうなものをさがしているのです。ところが、まっさきに駆け込んだミュージアムショップに並んでいたものは、すでに各地でみたものばかり。あとはせんべいとクッキーでは話にもならない。ドイツで入手した機関車の目覚まし時計などの魅力的なグッズに比較すれば、まるで何も考えていないレベルでした。ということは、わが方にまだまだビジネスチャンスはあるということ!!

by honmachilabo | 2007-12-18 08:06  

ソウルはおいしい

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ソウルには、娘と孫がいる。長崎時代の卒業生でグッドモーニングツアーという旅行社で主任をしている女性がいて、彼女のイルボン(日本)のアッパ(父ちゃん)ということになっている。長崎総合科学大学で住居学を勉強したあと京都府立大学の大学院で福祉のまちづくりを研究し、国に帰っていつの間にか旅行社に勤務。結婚してとってもかわいい二人の男の子がいる。この子たちも、わたしをハラボジ(じいちゃん)!と呼んでくれる。ソウルは下町を歩いて勝手に屋台で飯を食ってみると、どこもうまくて感激するが、彼女が一緒に歩いてくれると、もっともっとうまいものにありつける。韓国というと、焼き肉というイメージだが、あれは日本人が勝手に作ったイメージらしい。向こうの人の食生活は野菜が中心で、肉や魚は隠し味に使っているのではないかと思えるほど、ヘルシーでしかも美味しい。
写真は、娘の一家、ソウルの屋台にて、うなぎの料理、太刀魚の煮込みどれも絶品

by honmachilabo | 2007-12-07 14:15  

またチョンゲチョンに行ってきました

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チョンゲチョン再生とまちづくり
(2007.11.11-13ソウル訪問。自然環境復元協会ツアーに参加した時の報告書への投稿原稿)
           絵と文 片寄俊秀(大阪人間科学大学教授・まちづくり学)

1 これぞ「公共事業」!
それにしても「いよっ大統領!」と大向こうから声をかけたくなるような、痛快極まりない見事な「公共事業」ではある。これでもってソウルは、世界の魅力的な大都市のひとつとしてのステイタスを獲得したのではないか。
「チョンゲチョンは、ロンドンのハイドパーク、ニューヨークのブルックリン橋、シドニーのオペラハウス、パリのシャンゼリセ、リオデジャネイロのコルコバードの丘、サンフランシスコの金門橋、バルセロナのサグラダ・ファミリアといった世界のランドマークと肩を並べるものである」と、世界の都市事情に詳しい服部圭郎氏(明治学院大学。ハビタット通信2007)は言う。確かに、少なくとも今世紀の世界で最も注目される都市プロジェクトの一つとして、後世の語り草となるであろうことは間違いない。
筆者は、その昔千里ニュータウン開発などのプロジェクト型大規模公共事業に従事した経験をもっており、スピード感をもって「かたち」が現実になっていく事業が社会に対して劇的な効果を与えることを知るものとして、都心再生と防災安全につながるこのチョンゲチョン再生の大プロジェクトには以前から少なからず関心があった。じつはチョンゲチョンを訪れるのが今回で3度目になる。工事着工後の2004年の5月、完成した直後の2005年11月と今回である。ただ、関係者から事業内容について詳しくお話しを伺ったのは今回が初めてであった。
前回は、ソウル市民の興奮がまだ冷めやらぬ時期であり、大群衆が早朝から深夜まで、川沿いの道をぞろぞろと歩く熱気に圧倒され、ともに興奮して歩いたのであったが、今回はすでに都心の風景として馴染んださまを、やや冷静に眺めることができた。真夏にはヒートアイランド現象に悩む大都市の温度を3-4度下げたというから、このプロジェクトがソウルに与えたプラスの効果はさまざまな分野に及んでいるようだ。
わが国では、やがて大都市部を襲うであろう大地震を前にして、予想される惨状を少しでも減らすために、一刻も早く都市の防災安全度を高めなければならないと思う。そしてそのために有効な再生事業を着実に素早く進めるには、プロジェクト型の都市再生事業の導入が有効ではないかとかねて思っているのだが、現実にわが国で進行中の都心部でのプロジェクト型事業といえば、地上げをしては超高層ビルを林立させ、地下街をどんどん拡張するなど、災害をさらに大災害たらしめる「災害拡大要因」を増加させる内容のものばかりである。市民が真に待ち望んでいる前向きの公共事業というものがほとんど存在せず、そこに政治の貧困と、建設業界の提案力のなさを見ざるを得ない。まったく悲しい現実ではある。
 その意味で、密集した大都市に大きい風穴をあけたチョンゲチョンのプロジェクトには大いに魅力を感じており、このような事業がわが国でもなんとか実現できないものかとしきりに思った。
ただ、この種のプロジェクト型のまちづくりは、短期間で目に見える成果をあげることができる反面、かなり強引に進めざるを得ないために、それが周辺と事後に相当大きい犠牲を強いる可能性があるという宿命的な問題があることは認識しておかなければならない。だからチョンゲチョンを手放しで称賛するには、ある種のためらいがないではない。
われわれ表面しかみることのできない訪問者には、その実態がまったくわからず、あまりにも見事な「結果」を見て称賛するしかないのであるが、高架道路の下部に張り付いていた数多くの屋台や、貧しい住居群が完全に駆逐されていった過程で、社会的に弱い階層の人たちに対して、相当な犠牲を強いる行為がおこなわれたのではなかろうか。もっともそれは下司の勘繰りかもしれず、そうでないかもしれない。他国の政治状況に全く無知な身では、何も言えない。
ただ、千里ニュータウンの場合でいうと、地域全体での収支を考えると大いにプラスになったとは思うが、個別的にみると、大いに得をした人と大損をした人があった。いちばん得をしたのは周辺部をふくむ不動産の所有者とゼネコンというのがもっぱらの噂であり、いちばん損をしたのがやはり社会的に弱い階層に属する人たちであり、計画地区から無理やり追い払われた人たちや、周辺部で開発の犠牲になった地区の人たちであったと思われる。じっさい、ニュータウン・モンロー主義と揶揄されたように、美しく快適に仕上がった千里ニュータウンには、ごみ処理場も下水処理場も火葬場もない。発生する洪水の処理も下流部にすべておしつけて、一人ぬくぬくと出来上がったという側面は否定できない。
地域全体としてみれば、全体として大いに利益が出るこの種のプロジェクト型の事業において、生じた利益をうまく配分したり、「おすそ分け」して犠牲者をできるだけ減らす「三方一両得」のウィンウィンウィンのうまい仕組みがあればいいのだが。

2 合意形成には「物語」が重要であるということ
この事業の「成功」の秘密の一端は、今回めったに聞けない貴重な内容を鮮やかな語り口でご講義をしてくださったクァク博士のお話で、少し理解できたような気がする。
博士の、昨今はやりのパワーポイントを全く使わずに、白板に「うにゃうにゃ」と図形を描き足していき、語りが進むうちに、その「うにゃうにゃ」が次第に真実味を帯びていくという名講義ぶりに、久し振りで「本物の講義」を拝聴したという充実感を覚えた。
その「うにゃうにゃ」のお話というのは、ソウルがいかに首都と呼ぶにふさわしい地であるか、つまりソウルには四周を取り巻く3つの山と1つの川があって、政治経済の中心が位置するのに天が与えたまさに最適の地であること、そしてその中央を横切って、かつて流れていたのがチョンゲンチョンであり、「風水」の思想でいえば、都市にとって最も重要な「気」の流れがそこにあったというところから始まった。
そして、その川に蓋をしたのが他ならぬ当時植民地支配をしていた憎っくき日帝(日本帝国主義)であり、さらに経済の高度成長期に、当時の為政者が無謀にもその暗渠の上に高架道路をつくり、それが構造的にも危険になって、改築しなければならない状況になったとき、チョンゲチョンの復活という壮大な発想が生まれ、市民の強い支持を受けて実現したというわけだ。
ソウルは今や一千万都市へと拡大しつつあるが、そのグレーター・ソウルもまた「風水」的にいえば中心を横切って流れるハンガンの大河が、都市に「気」の大きな流れをもたらしていて、大都市としての風格を形成している。現在グレーター・ソウルで進められている副都心計画と交通計画の大構想は、そのような文脈の中に位置付けられて、着々と実現しつつあるというのが博士のお話の筋であったと思う。
写真:クァク博士の「うにゃうにゃ図」の名講義

このような、都市の成り立ちから未来へと続く壮大な物語が、専門家の手で見事に理論的に整理されていたことがすべての基本にあったことがよくわかった。
『ソウル大改造』(イ・ミョンパク著・マネジメント社2007)にも詳しく書かれているが、チョンゲンチョンのプロジェクトにおいては、そのような壮大な「物語」が市民に理解され認識されるまで繰り返し語られ、そのために相当な時間と労力が払われたのであった。市長がチョンゲチョンの復活を公約に掲げて当選したから実行できたのは確かであるが、それには周到な準備がされていたのである。物語を圧倒的に多くの市民が理解し、共通の認識としてもったことで市民の合意形成が進み、結果としてこの事業を成功に導いたのであろう。

3 脱クルマ社会にむけて
うっとりとこの壮大な物語を伺っているうちに、猛烈な交通渋滞に巻き込まれた前日の恨みつらみを、筆者自身も一瞬忘れかけたわけであるが、まさに壮絶なクルマ社会であるソウルにおいて、実際に事業を進めるに当たっては、相当な悶着があったことは想像できる。
しかし、基本的なスタンスがしっかりしていることこそ重要なのであり、博士が説くような、クルマ社会におもねらないで、着々と公共交通を充実させて「脱クルマ」の方向を明確に追求して、壮大な未来へと思いを馳せることを、市民が根柢のところで支持していたとすればこれまた見事な先進性を備えた市民社会であるといえよう。
クルマについての考え方は、前記のイ氏の本に、研究者たちの意見として「交通の問題は車道が狭まるだけに、当初は混雑が広がるでしょう。しかし、ときがたてば、市民は自家用車にそれほど乗りたがらなくなるでしょう」という、かなり楽観的な記述があった。
ボストンのビッグディグのように代替え交通路として地下に大トンネルをつくるのではなく、道路の削減がもたらす交通渋滞の問題を、いわば徹底的に無視して、なし崩し型での解決?策をとったという見識もまた、お見事としかいいようがない。
イ・ミョンパク氏は世界的な環境都市として名高いブラジルのクリチバから学んだと上記の本に書いているが、それは周到な準備と理論武装を重ねたうえで、抵抗勢力を抑え込めるという確信のもとに強権を発動して一気に実現するという政治手法であったようだ。筆者もまたクリチバを訪れたことがあるが、強引に既存の道路を壮大な歩行者天国にすることで都心の賑わいを取り戻して一挙に市民の支持を勝ち取り、さらに既存の道路のままバスを効率的に運用することで、きわめて安上がりに環境都市を実現した当時のカシオ・タニグチ市長の見事な手腕には舌を巻いた。
もちろん強権の発動だけでプロジェクトがすすむわけではなく、事前に市民の中に「物語」がしっかりと理解されていたからであることは前述したとおりである。とはいえ現在のわが国では、いかに周到な準備と理論武装をしたとしても、このような強引な手法を適用することは難しいであろう。やはりわが国に適した合意形成の方法を一刻も早くつくりあげなければならないと思う。

4 わが国でも「公共事業」の大転換を
 2005年に愛知県で開かれた「愛・地球博」にしろ、その前年に静岡県で開かれた「浜名湖花博」にしろ、それぞれ2200万人、500万人を超える集客があり収支も黒字で「大成功した公共事業」とされるが、それが結果として残したものは何だったのだろう。いずれも都心空洞化をさらに促進した「大失敗」ではなかったかというのが、筆者の見方である。
海上の森の自然を破壊して大々的に行われた地球博による集客を期待して都市開発を進めた隣接都市では、博覧会が終わると逆に一挙に衰退への道をつき進んでいるように見える。浜名湖花博でも、しっかりと整備された郊外のインフラを最大限活用して生まれたのは、わが国最大規模の郊外ショッピングモールであり、これが浜松市の中心市街地商店街の空洞化を一段と進めたのではないかと見る。
わが国では、プロジェクト型の巨大な公共投資である「郊外型の博覧会」を行っては、都心衰退を促進してきた。会期中に何万人が入場したという評価軸に何の意味があろう。そのプロジェクトが結果的に都心部を衰退させ、都市の全体から活力を奪ってしまったとすれば、大失敗と評価すべきではないか。
いまわが国の都市の大半で、商店街がシャッター通りと化し、中心市街地の空洞化が進んでいる。それは単に商業中心が移動したということではなく、これまで地域の人々が営々と蓄積してきた都市文化を崩壊させ、人々の生きるよろこびをも奪っていることに思いを馳せるべきではなかろうか。そしてその元凶の最大の一つが、都市や地域の「クルマ社会」化であり、もう一つが都市の拡散を助長する公共事業であると考える。
現代都市における公共事業については、それがまちに賑わいをとりもどしたかどうか。そして人々に生きる喜びを与えたかどうかこそが評価軸にならなければならないというのが筆者の基本的なスタンスである。
わが国のばかげた博覧会騒ぎに代表される「公共事業」の誤った進め方に比べたとき、チョンゲチョンのプロジェクトは、いわば都心部で博覧会を実施したも同然であり、デザイン的にはいろいろ注文をつけたい側面もないではないが、このプロジェクトは全体として都心再生に大きく寄与したばかりか、それを持続的永続的に展開させており、ひいては国家の威信を高める役割をもはたしている。やはり、お見事!というしかないではないか。
じつはプロジェクト型の公共事業に依然として期待と愛着をもち、ひそかに博覧会大好き人間でもある一人として、わが国の都市の多くでまだなんとか頑張っている中心市街地を元気にするために、チョンゲチョンを参考にしつつ、わが国では「都心型博覧会」の開催を打ち出すという手法が有効ではないだろうかと考えた。
もともと商店街を構成する個別店舗は、それぞれの業界を代表する一騎当千の選手であるから、店舗の一軒一軒をテーマ別のパビリオンとして見立てるならば、あとはイベント広場とかいくつかの目玉を配置するだけで、都心の商店街はたちどころに壮大な博覧会場に変身できる。博覧会と言いながら投資金額は格段に安くあがり、しかもその投資効果は持続的だ。現在生きているまちそのものが舞台だから合意形成は容易であるばかりか、入場料は無料でお客は大喜びし、地元からも大いに歓迎される可能性が高い。
国民の大好きな博覧会による商店街の再生を軸に中心市街地を活性化させ、人々のわがまちへの愛著を復活させて「守るに値する」意識を高め、そこで次なる合意形成をはかって、一気に防災安全都市へと変貌させるきっかけにしたいのである。これならわが国独自のプロジェクトとして、世界に胸を張って打ち出せるかもしれない。川沿いをそぞろ歩きしながら、そんなことをしきりに考えた「ソウルの休日」であった。
 

by honmachilabo | 2007-12-07 13:47