日本文化の空間学in天理

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近況写真が新聞に出ました。(奈良新聞2008.3.13)
2008年3月12日に天理市にて「日本文化の空間学シンポジウム」
まあ、奈良は小生の育った地でありまして、ご当地ということで小生が代表で登場したのでしょうか。久しぶりに、というか正確には生まれて初めて奈良盆地を大人のまなざしで山の辺の道から眺めていろいろ感じるところがありました。ちょうどその前に、理事の一人をさせていただいている奈良まちづくりセンターの機関紙に「景観」についての文章を書いたところでしたが、その文章は間違いでなかった、つまりこの地を古代の王朝の地に選んだ眼力、さらには天理教の「お地場」に選んだ眼力は、すごいものだったということを、あらためて確信した次第です。
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奈良まちづくりセンター機関紙2008.3
わたしの景観観(けいかんかん)
古来、美しい都市とされてきた都市や地域のほとんどが、ときの権力者の美意識によって統一的に形成されてきたことに思いを馳せるとき、人類は、はたして民主主義の現代においても、美しいまちをつくることができるのであろうか。目先の利益だけを追求する破壊的な連中をいくら説得してもと絶望的な思いが走るが、結果として金の卵を産む鶏を殺める愚かな行為であることをより多くの人に理解してもらい、数の力で押さえ込むしかないだろう。ただ景観のありようについての冷静な論議が必要であることはいうまでもない。
大和の地について考えてみよう。
まず大景観であるが、地震はともかくとして、全国を見渡したとき風水害からこれほど縁遠い地はない。ここに最初の王朝を築いた古代の権力者の眼力の確かさに敬服する。農業生産と生活の拠点である奈良盆地ののびやかな風景、その東側には春日奥山の原生林。西は吉野から大峰、大台ケ原へと続く深い山塊が連なる。その壮大な生態系のネットワークを適切に保全し持続させることが基本であろう。
中景観としては、奈良盆地から里山に至るあたりに、由緒ある個性的かつ魅力的な大小さまざまな都市や集落がキラ星のごとく存在していることに注目したい。それぞれの個性を存分に生かしたまちづくりをすすめれば、互いに競い合いつつ連携することで、全体として素晴らしい「面」としての景観が生まれる。これはドイツのロマンティック街道の「線」的な連携を超えるものとして、世界の人々に新しい感動の機会を与える。ここで大切なことは、互いに可視距離にあるだけに高層・超高層の建築を決して建てないことだ。
小景観としては、そこに住まう人々の小さな幸せを守るような、ほっとするまちづくりをひたすら進めたい。それが結果として美しい魅力的な景観をつくりだす。「ならまち」の何気ないたたずまいが人々を惹きつけるゆえんであろう。

by honmachilabo | 2008-03-19 10:16  

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