広島土砂災害の現地を見てきました(国土問題研究会ニュース投稿)

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広島土砂災害の現場を見て                    緊急報告 片寄俊秀 2014.8.30 
2014年8月29日、小雨の中、やはり現場を見なければという思いがあって、短時間でしたが広島土砂災害の現場に行ってきました。翌日広島から戻ったところに「国土研ニュース404号」が送られており、星野藤夫様の訃報を知りました。まさにその場を訪問しておりながら、弔花一つ捧げることが出来ず、痛恨の思いであります。 まだ自分の内部で考えの整理が全くついていない段階ですし、資料収集もしておりませんが、折角見てきた第一印象だけでも報告させていただきたいと存じ、筆をとりました。

1 JR可部線に乗ると数人の若い女性の喪服姿があり、身の引き締まる思いでした。途中、緑井で代行バスに乗り換えて広島市安佐南地区の梅林駅へ。あたりには全国各地からやってきた自衛隊、警察、ボランティアの人たちによる救援活動が展開されていました。正面の山には幾筋かの土石流の痕跡が見え、下流部の住宅地に大量の土砂が入り込んでいるのが遠望できました。そこで小生は強烈な既視感(デジa0064392_12031662.jpgャヴ)を覚えました。まさに1982年7月に、わたしが遭遇したあの長崎大水害のときの土砂災害の現場に酷似しているのです。

2 長崎大水害では、眼鏡橋の去就をめぐって全国に報道がなされ、都心を流れる中島川の氾濫で多くの人が亡くなったかのような印象を今も残して居ますが、実は300名近くの犠牲者の大半は、都市周辺部で起こった土砂系の災害の犠牲者でした。だから当時まさに現場にいた研究者として、小生は行政に働きかけるとともに、取材に見えたマスコミ等を通じて、都市復興においては眼鏡橋に代表されるような「まちの香り」を失ってはならないことを強調しながらも、人々の命と暮らしを守るためには、住宅の確保と土砂災害への対応こそがまず重要であると懸命に力説したのでしたが、結果から見てあまり効果はありませんでした。この時に「災害報道」のあり方にも疑問を持つとともに、そのことへの対案が必要だと痛切に思いました。

3 災害のなかでも、土砂系の災害はある意味でとてもわかりやすいと思いました。小生自身はその昔大規模ニュータウンの宅地造成の実施設計を技術者として現場で長く担当していたので、開発の計画と土砂や水の動きの関係について一定の経験と知識を有していました。その後長崎に転職して1982年の水害の時には長崎総合科学大学建築学科の教員をしていて、自宅のすぐそばにも大規模な土石流被害が発生して多くの人命が奪われる事態に遭遇したのです。まさしく専門分野での災害発生でありますので、当然の責務と思い現場を毎日のように歩いて調査し、時には専門分野の違う人たちと一緒に考えましたが、その結果、率直に思ったのは「被災地をみると納得せざるを得ないなあ」ということでした。つまり「もともと危なかったところで災害が発生していた」ことを確認したのでした。

4 もちろん土壌や土質、地質、地下水それに植生や地形が大きく関係していますが、土石流や大規模な斜面崩壊の発生場所をみると、基本的に地形が決定的な因子であると思いました。単純化して言うと、谷筋は土石流の通り道になる可能性があること、等高線が妙に揃っていたり、孕んだかたちをした斜面は斜面崩壊の危険度が高いことなどです。ゼロメートル地帯などの浸水常襲地帯などとも共通していますが、そういう危険な個所に無謀にも宅地開発が進められて、結果として災害を呼び込んだのだと思うのです。

5 古社寺などの多くは、こういう地形や風土を大局的にみる「風水」で位置の決定をしていたと聞いたことがありますが、今回も隣接地に無事に残っている神社を見ると、どこから見ても安全な、馬の鞍のような地形の場所に見ごとに造営されていました。本来は、われわれ市民一人一人が、専門家任せにするのではなく、そういう「環境の見方」を、ある種の常識として持っている必要があるのだと思います。もともと、そういう危ないところには家を建てないという原則を逸脱したことが、今回の災害発生の原因になったといえましょう。今回の被災地も、一目見て「ああここはもともと危ないところだった」という感を強く持ちました。

6 長崎水害のあと80-90年代にかけて、全国各地で関係者が大変な努力をして「土砂災害に関するハザードマップ」などが作られました。地権者や不動産業者などの相当な抵抗があったと伺いましたが、それを乗り越えての尊い作業です。今回の広島土砂災害の現場も、公表されている広島県がつくったハザードマップで見ますと危険地域として明確に色分けされていました。もっともこの地域に今回被災した住宅が建てられたのは、その以前の1965年代とのことですので、ああ、そうだったのかとなりますが、それだけに、こういう危険地域に建つ、いわば「既存不適格」の宅地になんら手が打てなかったのはなぜかということになります。

7 ここまで書いてきて、さて、というところで筆が止まってしまいました。32年前の長崎の教訓が生きていないと慨嘆して筆を進めてきたわけですが、それでは意味がありません。いま被災地で苦しんでおられる方々への前向きな提言と、今回辷り残した危険地域にお住まいの方々、さらにその範囲は全国に及び30-60万か所といわれている危険地域にお住まいの方々への、問題解決に向けての提言こそが必要なのです。

8 しかし今浮かぶのは地獄絵とでも申しましょうか、いよいよ悪くなる方向だけが明確に予測できるのです。被災地では避難している人々が、行政のあっせんで別の地に移り始めています。そして、今回幸いにも被災を免れた方々が浮足立っていることと思います。被災地に隣接した地区で、だらだら坂を上り詰めた、斜面住宅地の一番上にお住まいの方にお話を伺うことができましたが、すでに42年もお住まいで、今度の日曜日は神社のお祭りの予定でみんな張り切っていたのだったが・・とのことでした。おそらくこのあたりでは一挙に転居がすすみ、一帯の過疎化が急速に進むことでしょう。これまで培ってきた人間関係もばらばらになり、跡地は売れず、そして移転できない弱い人だけが取り残される・・・提言どころか、そういう繰り言のみになってしまった自らの力量不足を告白するしかありません。

9 技術的な問題としては、土石流を止めることはほとんど不可能に近いと思います。地形は自ら変化して次なる安定に向かうわけで、いわば自然の営みなのです。人間がこれを制御する方法としては、山を丸ごと削り取ってしまう大土木工事をするか、できるだけ逆らわぬようになだめるために、導流堤を設けて土石流の流路をつくり、ところどころに砂防ダムを配して減速させ、下流部で平地に広がってスピードの落ちたところで、土砂を大きく囲い込んで溜めるという方法になるようです。小規模な斜面崩壊の場所は、一般には辷る土塊を取り除いて、あとの斜面を急傾斜地対策工法で固定することになるでしょう。表からは見えにくい、より大規模な深層崩壊の場合は居住地全体を放棄するしかありません。

10 長崎水害のあとの被災地復興の状況からとで類推すると、今回の被災地で進む事態は、図のように予測されます。復旧復興予算への財政支出がどうなるかによりますが、これだけ報道されるとおそらく相当な予算がつけられ、長崎の事例のように至る所で大規模な土木工事が展開されてまちが寸断され、元の居住者はほとんど住んで居られなくなります。

11 ただ、これでもう町としては成り立たなくなるのかといえば、決してそうではないと思います。土石流の受け皿の池のような土砂溜め場は、滅多に土砂が落ちてきませんから、さまざまに有効利用することは可能です。サッカーグラウンドや貸農園に活用して、もし土砂が流入した時には重機の進入路を確保してメンテナンスすればいいのです。住宅は土地を集約的に利用し、斜面ないしは中高層の積層型住宅にします。バリアフリー仕様にして戸数を確保するのです。災害復旧から復興への過程で、地区住民の力を結集して、まちの将来についてのマスタープランを描きつつ実現していくには、相当な力量を持った実施体制が必要になりますが、全国的なモデルとして、何とか実現してもらいたいと念願する次第です。とはいえ、10年近くかかるこの大事業ができた頃には、元の住民はほとんど残っておらず、ほとんど新住民ばかりになる可能性が高いことも否定できません。斜面都市の大規模災害は残酷なものです。しかし、このまちが好きで、災害復興の過程で以前よりはるかに安全安心ではるかに楽しい住まい環境にしたいと願う一群の人々は必ずおられると思います。

12 真の国土防衛とは国民の命と暮らしを守ること。決して軍備増強ではないと思います。災害列島日本でいまやるべきは、安心安全な国づくり、地域づくりに全力を注ぐことです。それは決して土木事業を盛んにすることではなく、ソフトとハードの巧みな組み合わせで、自然の猛威を「しのぐ」ことです。環境を見る能力を含め、「にんげん防災力」を早急に高める必要があると思います。人口減少がすすむなかで、過疎地域の防災・減災対策はいよいよたいへんです。過疎地は大都市内部にもあり、斜面地、ゼロメートル地帯、そして木造密集市街地などの「既存不適格」地域でも過疎化が進行しています。防災の担い手をどんどん育てなければなりません。若い人たちにも自然と触れ合う機会の少ない「災害に弱い」人たちが急増しています。いざ災害の時に役立つのは、自然の中の野外活動で鍛えられた子どもたちですが、驚いたことに全国で公営のキャンプ場がどんどん廃止されています。指導者がいないなどといわれますが、子どもの頃から自然の中で育った「たくましい大人」は、村にもまちにも、まだまだたくさん元気でいます。外部からの刺激を含めて、ひょんなことからまちおこしの動きが始まり、渦状星雲的にやる気の人々が集まってくる各地の事例も結構たくさんでてきました。「まちづくり」は本来なかなかやりがいのある、楽しい仕事です。災い転じて福となす、被災地の心ある皆様が結集して、この地の改造過程に「まちの遺伝子」を残してくださることを期待したいと思います。
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by honmachilabo | 2014-09-01 12:11 | 防災まちづくりと水辺・片寄論文  

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