ああ、小松左京さん

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小松左京さんには、とてもお世話になった一人である。1970年に転職して長崎造船大学(現・長崎総合科学大学)に赴任して、しばらく経った頃だ。当時はまだ学生の元気の良かった時代であり、その生き残りの連中に、「中島川を守る」市民運動に引きずり込まれた。引きずり込んだ連中はさっさと卒業していき、気がつくとまるで首謀者の一人のような位置に自分がいた。
地元の人々にとってみれば、私という存在は、おそらく正体不明のよそ者という受け取られ方だったと思う。しかし、そういうことについての自覚もなく、石橋は大切な文化遺産だ、川沿いに車道をつくるなどもってのほか、市民がかねて提案する「中島川大遊歩道構想」をこそ実現すべきだ、などと無我夢中で吠えまくっていたら、「なんでも反対のアカ教師」のレッテルが貼られ、えらく分の悪い立場に置かれていることに気がついた。
そこで起死回生の一手に、著名人である小松左京さんに応援に来ていただくことを思いついた。あのベストセラー『日本沈没』が売れに売れていた時である。誘いの手は「軍艦島がこの1974年3月でいよいよ沈没します。今すぐ長崎に来られませんか!」であった。

長崎赴任後しばらくして恩師の西山卯三せんせいが軍艦島の視察にこられ、それ以来あの異様な空間と人々の暮らしぶりと、炭鉱のまち独特の暖い人情に魅せられ、しばしば訪れては、聞き取り調査などをさせていただいた。

全島三菱の社有地というきわめて排他的な空間であり、つねに「外勤」と呼ばれる鋭い眼差しの監視役の方が見回るという厳しい管理体制がしかれていた。夫婦喧嘩がその日の内に会社側に伝わるといわれるほど、全てを会社が管理する空間であったが、間近に閉山を迎えて管理体制がやや緩んだすきをねらって、閉山までの数年間、私の研究室では、ずっと軍艦島に張り付いて、人々の暮らしぶりや空間構成、炭鉱の歴史の研究などに取り組んでいた。そして、いよいよ閉山、全員島からの退去のときが目前に迫っていたのだ。

小松左京さんとは、岡本太郎さんの日本万国博太陽の塔の地下空間に、世界の仮面と神像と生活具を同時的に結集するというウメサオ・プロジェクトで親しくしていただいた関係で、夜中の12時にご自宅に電話するのがベストであるということも知っていた。いつも私のことを「ブワナ」(スワヒリ語でミスター)と呼んでくださり、2005年に関学の講演会にこられたときにも、おお、ブワナ!と覚えていただいていた。長崎時代にたしか、千里ニュータウンのことを書くからと電話をいただき、私の学位論文を所望してくださり、お送りしたこともある。

軍艦島からの最後の定期船に乗って長崎市内に戻り、中島川と石橋群をご案内し、あとはうまい活魚料理を用意した。
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市民ホールでの「小松左京講演会」は、数百人を集め、大成功であった。
冒頭、小松さんは、自分が『日本沈没』を書いたのは、あのアメリカ軍による広島、長崎への原爆投下に衝撃を受けたからであった。人間にとって真に大切なものは何か。それを考えるのに、一度全てを沈没させてしまうという方法を考えつき、それを小説にしたのだ、だからあの小説の出発点は長崎なのです、と言われた。いつもの、冗談かホントの話かわからないような話しぶりの小松さんとは全く違う、真面目で、まさに心に沁みるお話であった。

そして、中島川の石橋群の大切さについて、諄々と説かれたのである。後日読売新聞に書いたからと、送ってくださったのがこの記事であり、『長崎中島川と石橋群ミニガイド』に、その文章をまるまるいただいた。サインはちゃっかりといただいてあったので、私の描いた似顔絵を付け加えた。当時はこんなにふっくらとされていた。
小松左京さんに「中島川を守る会」へご入会くださいと申し上げたら、その場で会費を下さった。なんと10万円!しかも長崎までの航空運賃は、作家は必要経費で落とせるからとのことでタダ。貧しいわれわれの運動のなかに舞い降りた、まさしく小松エンジェルであった。

その後、1991年だったと思うが、朝日新聞大阪本社の朝日カルチャーセンターの特別講座「町並み探検学」というのを引き受け、長崎から毎週通った。謝金が交通費込で3万円。完全な赤字で、担当者の方が埋め合わせにということで、本社の一階ロビーで小生の町並みスケッチの個展をやらせてくれた。当時朝日新聞社が中之島公会堂の保存に力を入れており、そのスケッチを入れるという条件付きであった。やってみるとあまりにもお客の入りが悪いので、各方面の知人に声をかけまくった。その一人が小松左京さんで、会場には奥様がきてくださり、添付のスケッチをお買い上げくださった。
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ああ、お世話になりっぱなしで、なんのお返しもできぬまま逝ってしまわれました・・・心からのご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

by honmachilabo | 2011-08-11 02:46  

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