大震災、津波、原発犯罪

この大災害を前にして、言葉もない。日々苦しみのいや増すなか、必死にたえておられる人々のことを思うと、何も書けなくて今日まで来てしまった。

「想定外」という言葉が飛び交っているが、責任逃れの言葉でしかないと思う。何年も前から、心ある真面目な科学者たちは、様々な検証を重ねた結果、ほとんど正確にこの災害の全貌を予測していたからだ。大地震と津波の発生で原発がどうなるかについてのほぼ正確な予測が、例えば次の著書に記されている。
田中三彦著『原発はなぜ危険か――元設計技師の証言』 1990年発行
石橋克彦著『大地動乱の時代――地震学者は警告する』1994年発行
高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』2000年発行
(いずれも岩波新書)

この著者らは、警告を発するだけではなく、災害を未然に防ぐために様々な努力を重ねていた。関係地域の住民たちの集会に参加し、住民たちの勉強と活動を支援するなど、様々な運動を重ねてきておられた。しかし彼らの真摯な叫びを無視し、さらには「アカ」呼ばわりして彼らを社会的に抹殺し、影響力のある社会的な仕組みから完全に排除してきた連中がいたのである。その「犯人」はだれか。言うまでもなく歴代の自民党政府であり、そのスポンサーであった関係企業の連中である。今回の原発災害は、まさしくその連中による「犯罪」が明るみに出た、ということなのだ。

大震災も同様に、ほぼ正確に予測されていた。
作家吉村昭の名作『三陸海岸大津波』1970年発行。文春文庫で再刊。には、三陸海岸の危険性が、じつに抑えた文章で、詳しくかつ淡々と描かれている。三陸海岸は、すでに太古の昔から何度も何度も大津波に襲われていた地域なのである。昭和8年1933年の大津波では、津波高さが50メートルに及んだとある。
この危険一杯の海岸に、こともあろうに「原発」を立地させたことこそ、まさしく「犯罪」であったと思う。

憎き犯罪者たちを断罪しなければならない。
だが、それをしたとて、何も生まれないし、だれも救われない。悔しいが、これ災害というものなのだろう。
今は何をおいても目の前の苦しんでいる人々の救援活動をするしかない。藤村さんの提唱で、これまで小生らも参加させていただいて展開してきた北前船ルートの復活再生をテーマとした「ぼうさい朝市、昼市ネットワーク」が、拠点を引き受けてくださった山形県酒田市のみなさんの猛然たる活動のおかげで、仲間の一つであった南三陸の商店街の救援に、かなり有効に機能している。まことにありがたいことである。

中国の四川地震で見出された「対口支援」という、個々人のネットワークづくりが大災害の被災地救援にもっとも有効な仕組みであることがわかったというが、それに近い仕組みが、すこしだけできていたのである。もっと早くから、もっと大規模に展開できていれば、もっとよかったのだが・・・

by honmachilabo | 2011-05-05 01:42  

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