初詣は千里ニュータウンのパワースポット

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正月2日。今日は突然思い立って、千里ニュータウンのど真ん中にぽっかりと残されてきた「計画除外地」の豊中市上新田集落の氏神様である「天神社」さまに初詣に行ってきた。もう一か所、同じく除外地である吹田市山田地区の伊射奈岐神社にも参詣してきた。

感想を一言でいえば、「氏神様をもつ集落」と、「もたないニュータウン」との、基本的な違いというか「貫禄の違い」は、想像を絶するほど大きいものであったということになろうか。なんと千里中央から、中国縦貫道路を越えて、竹やぶ道を抜けて「天神社」に至る道を、ニュータウン住民と思しき人々が、ぞろぞろと歩いていくのだ。そして、神社には初詣客が長い行列をなしていた。この「天神さま」こそが、千里地区一帯に重みをもって影響を与えてきた、いわゆる「パワースポット」なのだ、と思った。

不信心者の小生がなんでまた、という理由は、今年の卒論で「千里ニュータウンと上新田との比較」をテーマとする永田君との出会いにある。井上ゼミの彼が千里を研究したいと相談にきた。話をしているうちに、彼が上新田のありように異常に興味を抱いていると知って、あっと思った。小生自身は「千里ニュータウンの周辺部」の問題の重要性にうすうす気がついていて、そのうちでとくに洪水対策の河川改修が下流地域に巨大な損害を与えてきたことなどを実証したりしては来たが、住環境と暮らしの問題として、きちんと比較したり検証をしたりという研究はしてこなかった。

そうか上新田という重要な集落の存在を、ないがしろにしてきた!しまった、永田くんに先を越された!かねて「学生はライバル」というのが自分の教育者としての信条だとうそぶいていたが、ここにきて、そのライバルが登場したことを知ったのだ。

じつは、かねてわたし自身が、直感的にではあるが、上新田の存在こそが千里ニュータウンの「救い」ではなかったかとは、思っていた。短期間にすべてを「計画し尽くす」というわが国のニュータウン開発事業には、どうしても人間の暮らしのスケールと相容れないものがある。見知らぬ者同士が突然近隣に住まい始めることで当然生じるぎくしゃくとした人間関係の問題。さらに具体的には、たとえば開発途上ではマンモス小学校ができたり、無医村が生まれたり、今日では一斉高齢社会化という問題が露呈してきたりしている。

ニュータウン開発には、当然ながらいろいろな無理があるのだ。上新田の存在は、未熟な居住地である千里ニュータウンに次々と発生した諸問題を、ある種のバッファーとしてやわらかく緩和してくれた可能性があるばかりでなく、何かもっと説明できないほど重要な役割を果たしたのではなかったか。ばくぜんとではあるが、そんなことを考えてはいた。

なかでも「信仰」の問題は、わが国のニュータウン開発ではアンタッチャブルとしてきたわけであるが、千里ニュータウンの場合は、上新田の氏神様がこのことについて、かなり重要な役割をはたしてきた可能性がある。これ、なかなか興味深いテーマとは思っていた。
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1950年代の終わりごろにスタートした千里ニュータウンの計画では、先進モデルとして知恵を吸収した当時のイギリスのニュータウン計画において、「近隣住区」が計画単位とされていて、千里もこの手法を真似して計画が進められた。事業をやる立場からのご都合主義で、これをわが国の「小学校区」と読み替えて、今ある佐竹台とか津雲台とか新千里北町とかの町の単位で、年に2-3住区ずつ建設がすすめられた。

それまで全くの他人同士であった人々が、ある日突然集まって住みはじめるというニュータウンにおいては、住民同士のコミュニケーションをうまくはかる必要がある。それをどう進めていけばいいのか。小学校は確かに一つの求心力を有しているが、一般住民をすべて巻き込んでいるわけではない。イギリスの場合は、住民のコミュニティ形成の中心として、それぞれの住区に教会とパブがつくられ、日曜日には着飾って礼拝にでかけ、夕方にはパブに集うので、近隣住民どうしの心のつながりが自然と生まれる仕組みであると聞いた。

なるほど、うまくできているなあ、だがわが国にそれを移し替えるとどうなるか。まず数ある宗教のどれにするか、で大もめするだろう。かりに宗教施設用地を設けて、それを分譲をするとして公募したら、おそらくお金に余裕がある新興宗教が入ってきて、それ以外は排除されてしまうだろう。もっともそれ以前に、公的な住宅地開発で宗教空間を用意すること自体が問題とされるだろう。

というわけで、宗教施設の代わりに、何か方法はなかろうかと知恵を絞ってつくられた方針がこうである。各住区に「近隣センター」をつくり、そこに生鮮と日用品を扱う小型のショッピングセンターと、郵便局、行政の支所、銀行と交番、それにもう一つ、当時おフロがついていない公営住宅の居住者が日常的に確実に利用する「公衆浴場」を設ける。

つまりお風呂屋こそ、わが国の誇る独特の「社交場」であり、そこで裸のつきあいをしていただくなかで、自然に住民同士の心のつながりも生まれてくることを期待しよう・・・教会のかわりに風呂屋さん、という発想である。今ならびっくりするような発想であるが、こんな話が、内部ではよくされていたのを記憶している。ただ、文書には一切残されていないだろうから、おそらく外部にこの情報は出ていない、と思う。

まあ言ってみれば、技術屋バカが苦し紛れに思いついた仕掛けである。しかし、これは小型ショッピングセンターが中央地区にできた大型店に完全に食われて衰退し、そのころ同時に公営住宅にも各戸に風呂が付き始めて、風呂屋さんがつぶれて、わずか数年で目論見はすべて外れてしまった。だからいま、公的な施設として、ニュータウン住民どうしの住区内コミュニケーションの場、とくに心のつながりに資するような場は、皆無と言っていい。

イギリスのニュータウン計画における、コミュニティ形成を精神的な面で支える仕組みについて、我が国では形態だけマネしようとして、見事に崩壊したわけである。この点から見ても、イギリスの風土の中から生まれたニュータウン・アイディアを、わが国の風土に持ち込むことに、もともと無理があったという気がしてくる。

これにひきかえ、もともとが自然集落として形成されたと思われる上新田地区には、風土の中にしっかりと氏神様が存在していた。そして、いまやそれがパワースポットとして、根無し草集団のニュータウン住民を惹きつけている。この事実をどうみるか。

ニュータウンの事業がはじまる以前の議論としては、計画から除外されて「お気の毒な」上新田地区は、やがてニュータウンに圧倒されて、みじめな居住地になる可能性が高い。だから一刻も早く区画整理事業を適用して、ニュータウンの一角としても引けを取らないような町にちゃんと整備し、ニュータウンのなかに「吸収」してあげるべきだ、といった「上から」の目線での議論もしきりにされていた。

つまり、上新田のような「時代遅れ」の伝統的集落の形態は一刻も早く消し去るべきであり、設備の揃った近代的で清潔なニュータウンに「吸収」し、ニュータウンと一体化してはじめて地区の人々は幸せをつかむことができる、という見方であった。伝統的な集落のもつアイデンティティの重さ、とくにその精神的な支柱ともいうべき氏神様の存在の意味などを、事業者側で意識していた人はおそらく誰一人としていなかったように思う。

今日、上新田地区には「無計画的に」侵入してきたマンションが林立し、ニュータウンから「はみ出してきた」諸種の施設が、これまたきわめて無計画的に立地して、一見かなり乱雑な町という印象がある。しかし、元々の居住者の住まいがある地区の中心部は、どれも大型の敷地に堂々とした構えのお住まいが並んでいて、なかなか風格がある。昔に比べてどの住宅も立派になっているのには、おそらく開発事業で土地を売却したことなども関係があろう。近隣施設もこのあたりに集中していて、集落の「かなめ」としてしっかり機能していると見た。掲示板なども、きちんと整備されており、生きている。おそらく新入りの住民たちの多くは、在来の地区の仕組みやしきたりに圧倒され、パワーのある自治会の管轄下に包含されている例も多いのではなかろうか。

いずれにしろニュータウン開発の海の中に、まるで離れ小島のように「取り残されてきた」上新田地区のアイデンティティは、ニュータウン開発によって圧倒されたのではなく、取り巻かれたなかでも、何ひとつ損なわれなかったのだ。

そればかりか、上新田の氏神様は、むしろニュータウンから人々を精神的にも物理的にも惹きつけて居るのだ。確かに「立派な」道路こそないが、そこには生きたコミュニティが存在し、氏神様がちゃんとそれを守ってくださっているという安心感がある。少なくとも精神面において、上新田はニュータウンをはるかに勝る独自性とパワーを持続して、ついには逆にニュータウンの一部を呑みこんだ、と言えるのではないか。

by honmachilabo | 2011-01-02 23:24  

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