昭和の町豊後高田は、いま

ほらふきトシちゃんこと金谷俊樹さんが仕掛けた「昭和の町」の動きを、具体化の前から斉藤行雄さんに紹介されて現地でお話しを聞き、その後実現してからも何度か訪れて、傍から観察してきた。一時は大ブームで、年間48万人もの人が訪れ、今でも30万人以上の観光客を迎えているという。しかし、当初から、これはメチャ面白いけれど、結構危ない仕事だなと、はらはらしながらみてきた。
どう考えても、アイディア先行型のこの程度の仕掛けでは、底が浅い。そのことは金谷さんご自身が当初から想定されていた。まちにパワーがあるうちに次の手を着実に打っていかないと、それほど長続きするとは到底思えないなと語り合ったことを覚えている。リーマンショックの影響が大きいと現地の方が言われるのを伺ったが、決してそれだけではないと思う。今回まちなかを歩いてみて、あきらかにかげりが見えてきているように感じた。かげり始めると早いのがこの種の仕掛けである。
しかし、この町のロケーションは、宇佐神宮からほど近く、さらに国東半島への拠点として最高の場所である。このすぐれた立地条件と地域に蓄積されているパワーを活かさない手はない。町歩きガイドさんをはじめ、復活した昭和レトロの商店などには、いたるところ若い美女たちが居られて、にこやかに応対してくださったが、この間に蓄積された昭和のまちのホスピタリティ精神は相当なものだと感じた。仲良しのカフェ・バー・ブールバールのママさん、野崎智子さんがいろいろ次なる手を仕込んでおられる現場も見せていただいた。閉校したかわいい建物の分教場を、思い切って役場から購入して、これを地域の拠点にしたいと仲間と一緒に整備に取り掛かっているなどという面白い仕掛けを次々と具体化されており、その熱意には敬意を表したいし、大いなる可能性も感じた。学生たちなど若者の応援が切に欲しいのだ、とのことであった。
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by honmachilabo | 2010-06-21 01:24  

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