こてんこてん

ドイツの小さな小さなまちゲンゲンバッハ。人口約1.1万人というこのまちは、地球の歩き方にも紹介されていない、いわば「穴場」であるが、あるご縁で訪れて、そのかわいい町並みに惚れ込み、しばらく滞在して、このラブリーなまちを描き尽くしてみたいなどという衝動にかられて、ある夏に思い切ってこのまちのはずれにあるエコ農家民宿に泊まり込んだ。10年も前の話である。そのとき描き散らしたスケッチは、絵はがきにして現地に差し上げたりもした。このたび研究室の移動を命じられて、この際、手元にある大量のスケッチをどさくさにまぎれて一度公開してみようと思い立った。アクリルの板を買い込み、そこにドリルで穴を開けてボールトナットではさむ方式の額を自分で作成したが、まあまあ見れないこともない。
2月6日まで大阪人間科学大学大学C号館ロビーにて。小生は滅多に居りません。

# by honmachilabo | 2012-01-29 22:44 | Comments(0)

井戸を掘った人たち

かねて小生もかなり主体的に参加させていただいてきた大阪市東成区今里大今里の木造密集市街地の防災対策問題が少し動き出した。なんとか具体的にすすめるきっかけ作りとして、1月から、いよいよ「せせらぎ公園」づくりが実際に始められ、その手始めにみんなで井戸を掘ることになったのだ。
自治会が本気で動き出すと、すごいものだ。なんと地区にある熊野大神宮の宮司さまによる「地鎮祭」が厳かに執り行われ、小生も玉串を捧げさせていただいた。
そして、始まったのが市民総参加での「井戸掘り」。いやあ、久しぶりのどろんこ遊びに、みんな夢中になってとりくみ、初日だけで2.5メートル。次の日曜は小生は参加できなかったが、4.5メートルまで掘りすすんだが、まだヘドロが出てきているとの情報である。水はすでに相当湧き出ているようだ。しょうらいてきには、ここに非常用トイレもつくる。こうなると、いざという時のお助けポイントになる。こういう空間を地区内にうまく点在させ、ネットワークさせることで、すこしずつ安全度を高めていくという戦略である。
これまでの木造密集市街地(モクミツ)対策の多くは「追い出し型」であった。つまり、見かけは立派な高層住宅が並んで、いかにも安全に見えても、実際は、そこに従前の住民はいない、という見せかけ事業が多かった。
住民を追い出すのではなく、住みながら地区改善を進めるにはどうすればいいか。大阪市のモクミツ対策の「優先地区」から除外されて、行政からいわば見放されている今里地区では、こういう身近なところからちょっとずつでも安全を確保していく方法がもっとも有効なのではなかろうか。とはいえ、密集市街地問題の解決は、待ったなしで、急がなければならない。むつかしいけれど、一歩ずつでも前に、という住民の悲願が具体的に進み出した・・・

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# by honmachilabo | 2012-01-27 00:14 | Comments(0)

快挙!大阪人間科学大学女子バスケ部
これが快挙でなくてなんであろうか!
先日本選手権の8強で、優勝候補のJXに敗れたものの、結構いい線まで行った。日頃見知ったかわいい女性たちが、プロを相手に堂々とのびのびとたたかう姿に酔いしれた。いい正月だった。
# by honmachilabo | 2012-01-06 00:59 | Comments(0)

種子島に行ってきました
市川森一さんが亡くなられた。この稀有の才能豊かなシナリオ作家とは長崎時代に2度雑誌の対談をしたほか、何度かお会いすることがあった。こよなくふるさとの長崎を愛する方であった。対談ではポルトガル、オランダと長崎の関係を語り合ったが、聞き上手で、こちらの知る限りを懸命に語った記憶がある。合掌
ところでこうして親しい連中がつぎつぎあの世へ行くものだから、ここのところ数箇月ずっと咳がとまらなくて、そろそろかなという気もしてきた。とはいえまだ未練があるので、これは休養の必要があると、先日知り合った生産者の方の「安納芋」づくりの現地を訪ねることを思いついた。
この西田さんは、稀に見る有能な事業者であり、地域を愛する素晴らしいお人柄の人物で、安納芋の全国的ブランドを確立する過程で、かなり中心的な役割を果たされたようだ。

見せていただいたのは、熟成貯蔵すための巨大な石蔵、様々な加工機械であったが、着実であるとともに、アイディアに満ちており、かなり多くの雇用を生み出しておられた。


なんとあの「馬毛島」が、種子島のすぐ西にあることも、現地で初めて知った。


石蔵のすぐそばに、きわめて扁平なアーチ石橋を発見して、これは?と問うと、なんと西田さんご自身が造られたとのこと。小生の知るかぎり、これは日本でもっとも扁平なアーチ石橋だ。

# by honmachilabo | 2012-01-06 00:54 | Comments(0)

2012年、今年もどうぞよろしくお願いします

昨年は、ひときわ辛いことの多い年であった。今年もまた悪い予感がする。政権の維持のみを目的とする政治屋は、いま、どさくさにまぎれてとんでもない方向に走っている。八場ダム、新幹線建設など、まさしく典型的な無駄な公共事業を次々と復活させ、TTPで零細な生産者を冷徹な国際競争に晒して一挙に転落させようとする一方で、必要な巨額な税金の財源を国民全体に負わせる消費税の大幅増額。

震災を契機に、とんでもないことを次々と実行していくこのやり方こそ、ショックドクトリン(大惨事便乗型資本主義)の典型的な展開なのだ。この流れとどう闘い、どう克服していくか。抵抗するだけでは決して止まらない。明るい展望をもち、それを実現するための着実な戦略と力をもたねばならない。口で言えば、そういうことだが、この老骨に何ができるのだろうか・・・

正月明けに、たまたま「すいたサイエンスカフェ」という場で「いいまちづくりのサイエンス」という卓話をすることになった。「いいまち」ってなんだろう。「まちづくり」ってなんだろう、と話す内容を考え始めると、実は自分自身何も分かっていない人間であることを改めて確認した。まちづくりプランナーなどと、専門家面をしてきたことが、たまらなく恥ずかしく、いま悩みに悩んでいるところだ。


ついでにどさくさにまぎれて近況の写真

# by honmachilabo | 2012-01-05 23:46 | Comments(0)

イタリア研修大人気

1988-89にわたしの下宿していたあたり(フィレンツェ)

彫刻の師匠マルチェッロ・グアスティさんの自宅にて

円高もあってかなり安いツアーになったのと、やはりイタリアは人気が高い。大学主催で単位にもなる来年2月の極寒のイタリアツアーに、なんと36人の定員があっという間に満員。そこで、彼らのための事前研修の第一回を引き受けた。注意事項の第一は「スパゲッティを食べるときは、啜り音を立てないように」。これは同僚のイタリア通の先生にえらく褒められた。それ、言って欲しかったの!

小生の講義レジメの一部

イタリア都市の魅力 (イタリア研修関連講義第1回)      2011.11.16
 環境・建築デザイン学科 教授 片寄 俊秀(1988-89イタリア国家学術機構CNR客員研究員。その後数度訪問)まちづくりプランナー・環境芸術家・工学博士・技術士・一級建築士・福祉住環境コーディネーター

なぜ、いまイタリア?   国土面積は日本のほぼ80%、人口はほぼ40% 首相の首がかわった 地形もよく似ている 資源にも決して恵まれていない 災害もけっこう多い しかし、イタリアには原発が無い! ワインとパスタとチーズがうまい 魅力的なデザイン、数々のブランド 小さな町も、大きな町も、農村も人間も、みんな元気だ。 エコライフ、スローライフこそ人生。農業は、最高に魅力的な仕事。盛んなアグリツーリズモ(農村観光) 自治単位が小さくて、しっかりしている 国は貧しいが個人は豊か 大規模よりも小規模、画一的よりも個性的・・・人々は陽気で、人生を悠々と楽しんでいる感がある 学ぶことは多く、何度も訪れたくなる魅力に溢れている。日本のこれからを、イタリアと比較して大いに考えてみよう。


【スローフード宣言】 いま、イタリアのもっとも注目すべき動き
 工業文明という旗印のもとに生まれ育った私たちの世紀は、最初に自動車を発明し、それによって生活モデルを形づくってきた。私たちはスピードに束縛され、誰もが同じウイルスに感染している。私たちの慣習を狂わせ、家庭内にまで入り込み、「ファーストフード」を食することを強いる「ファーストライフ」というウィルスに。
 今こそ、ホモ・サピエンスは知恵を取り戻し、人類を絶滅に向かわせるスビードがら自らを解放しなければならない。ここでファーストライフという全世界的狂気に立ち向かい、落ち着いた物質的よろこびを守る必要がある。この狂乱を効率とはき違える多くのやからに対し、五感の確かなよろこびを通度に配合した、ゆっくりと楽しみを持続させながら打つワクチンを、私たちは推奨する。
 食卓で、「スローフード」を実践することから始めよう。ファーストフードの没個性化に対抗し、郷土料理の豊かさと風味を再発見しよう。生産牲という名のもとに、ファーストライフが私たちの生活を変貌させ、環境と景観を脅かしているとすれば、スローフードこそ、今目の前衛的回答である。真の文化は味覚の貧困化ではなく、味覚の発達にこそあり、そこで歴史や知議やプロジェクトが国際交流することによって文化の発展が始まる。
 スローフードは、より良い未来を約束する。カタツムリをシンボルとするスローフード運動は、その遅々たる歩みを国際的運動にするために、多くの有能な支持者を必要とする。

この宣言は1989年12月9日、パリでの国際スローフード協会設立大会で承認された。

表1 ファストフードとスローフード(片寄作成)
Fast Food 文化 Slow Food文化
すぐできる時間がかかる
手がかからない          面倒くさい
エサという感じ          食事という感じ
他人まかせ他人にはまかせぬ
単調、機械的           複雑、人間的
規格大量生産           手づくり
口当たりはよいが本質的にまずい  個性的で本質的においしい
食は生活の一部          食は生活の最も中心的な部分
ストレス大                楽しさ大
アメリカ的・東京的            ラテン的・大阪的
大量生産・世界商品使用・安価追求
見た目第一               こだわり生産・地産地消原則・実費原則
                     安心・安全第一

若干の注意事項:スパゲッティは「静かに食べる」こと、など
イタリア食はいろんなところで味わえる。リストランテ、トラットリア、スパゲッテリア、ピッツェリア、バール、メンサ・・・ 一度観光客のためのリストランテにいったとき、日本人の団体さんが出てきたスパゲッティを一斉に、ズズーッと音を立ててすするシーンに出くわした。他のお客が一斉に振り返る。スパゲッティは、静かに「食べる」のがエチケット。日本では、ソバは音を立ててすするのがエチケットなのだが。
リストランテの正式料理では、スパゲッティは「スープ」の代わりである。スープも音をたてないこと。
水はタダではない。必ず「コンガス?」と聞かれる。発泡水か普通の水か?シー(イエス)かノンを言う。リストランテ以外ならメインディッシュを頼まなくてもいい。最後はドルチェ(甘い)かジェラートが締める。
イタリアでも「マクドナルド」が大繁盛だ。しかし折角来たのだから、やはり土地柄を生かしたスローフードを味わうことをすすめたい。ただしマクドは、トイレを借りるには、全く好都合だ。
チップの出し方は難しいが、これも経験してみる。チップだけで暮らしている人が、結構居るのだから。
スリも結構居る。わたしも換金したばかりの金の入ったポケットの財布を、バスの中でまさしく芸術的にスられたことがある。気持ちが落ち込んでイタリア人の友人に、イタリアって何だ、とグチを言ったら、そのスリの見事な腕前と幸運を祝って乾杯しようといわれ、すっと気持ちが楽になった。これがイタリア流の人生の楽しみ方と知った。

doスケッチングの勧め
 記録することは大事だ。カメラで大量に撮るのはいいが、できれば自分の手を動かしてメモをし、そこにスケッチを加えることを勧めたい。
自分だけの「引き出し」の中身を充実させておくと、のちのち自分なりの応用が利く。特にデザインや建築や福祉環境などの分野に進む人は、この際自分自身の蓄積を充実させておくと、研修の価値が高まる。その点では、私の絵日記の方法が参考になるかもしれない。
# by honmachilabo | 2011-12-06 09:52 | Comments(0)

今年も「あかりプロジェクト」

今や伝統的なおベントになった大阪人間科学大学の「あかりプロジェクト」。ここのところいろいろあって報告が遅れたが、じつは10月29日(土)に、学園祭と同時開催で実現した。こういうイベントのプロデュースという仕事は、若ものを育てるのにとても有効だということを、今年も実感した。あと始末までしっかりとこなして全部が終わると、ゼミ生たちは確実に一回り大きくなる。
この日は、卒業生たちのホームカミングデイにもなっており、フェイスブックやミクシイなどでの連絡で、30人の卒業生たちが来てくれた。小生の役割はそのホスト。懇親会会場のC号館ロビーには、小生のイタリアスケッチ展を開いていた関係で、デパートで開かれていたイタリアフェアでちょっとばかり美味しいものを仕入れておいた。なかには子どもさん連れも居たので、とてもいい雰囲気だった。

# by honmachilabo | 2011-12-06 09:31 | Comments(0)

日本と世界の町並みスケッチ展・イタリア編
大学祭と「あかりプロジェクト」に便乗して、スケッチの描きちらしの膨大なストックのなかから、まあまあ鑑賞に耐えそうなものをセレクトして、勝手に展覧会をやることにしました。ちょうど学生のイタリア研修旅行を募集中なので、その刺激になるかなとの狙いもあります。
これを第1回として、今年度にあと2回はやってあとは全部処分しようかなと考えています。続編はアジア・アフリカと日本とか、ドイツとポルトガルとか、いろいろ計画しています。その昔フィレンツェに10ヶ月近く滞在したとき、「このまちを描き尽くしてやろう」という無謀な計画を立てたことがあります。長崎時代に「長崎のまちを描き尽くそう」と何百枚も描いた経験があり、その一部も展示しようと考えています。じつは「長崎は日本のイタリア」という文章を書いたこともあるのです。その後もドイツのゲンゲンバッハという小さなまちに惚れ込んで、同様の試みをしたけれど描き尽くすまでには至りませんでした。もっとも小生のスケッチ行動は、「手で覚える」というメモがわりが目的であり、ほんの10分ぐらいで仕上げてしまう「超早描き」の作品ばかりなので、あまり鑑賞には耐えないので、期待はしないでください。
# by honmachilabo | 2011-10-08 15:31 | Comments(0)

綱本武雄さん丸の内丸善ギャラリーに!
加藤正文さんとの共著『工場は生きている』(かもがわ出版)の発行を記念して、なんと東京駅丸の内北口すぐの「丸善本店」3階エレベーターホール前のギャラリーで、綱本さんの挿絵の展覧会が開かれている。11月11日までだったか。本人からはなんの報らせもなかったのだが、東京在住の友人にはフェイスブックで連絡があったらしく、東京でそう聞いて駆けつけた。ずっと神戸新聞に連載されていて、いつも敬服していた力作の原画の数々が、若干場所は狭いものの、ずらりと展示されている様はなかなかのもの、これはまさしく快挙だ!書棚にも平積みで並んでいた。すごい!
目を皿にして探しまわったら、やっと小生の『まちづくり道場へようこそ』も片隅にあって、なんとなくほっとした。ライバルに大きく追い抜かれた!という気持ちが走ったのだろうか、少し恥ずかしかった。

# by honmachilabo | 2011-09-27 10:51 | Comments(1)

ああ、小松左京さん

小松左京さんには、とてもお世話になった一人である。1970年に転職して長崎造船大学(現・長崎総合科学大学)に赴任して、しばらく経った頃だ。当時はまだ学生の元気の良かった時代であり、その生き残りの連中に、「中島川を守る」市民運動に引きずり込まれた。引きずり込んだ連中はさっさと卒業していき、気がつくとまるで首謀者の一人のような位置に自分がいた。
地元の人々にとってみれば、私という存在は、おそらく正体不明のよそ者という受け取られ方だったと思う。しかし、そういうことについての自覚もなく、石橋は大切な文化遺産だ、川沿いに車道をつくるなどもってのほか、市民がかねて提案する「中島川大遊歩道構想」をこそ実現すべきだ、などと無我夢中で吠えまくっていたら、「なんでも反対のアカ教師」のレッテルが貼られ、えらく分の悪い立場に置かれていることに気がついた。
そこで起死回生の一手に、著名人である小松左京さんに応援に来ていただくことを思いついた。あのベストセラー『日本沈没』が売れに売れていた時である。誘いの手は「軍艦島がこの1974年3月でいよいよ沈没します。今すぐ長崎に来られませんか!」であった。

長崎赴任後しばらくして恩師の西山卯三せんせいが軍艦島の視察にこられ、それ以来あの異様な空間と人々の暮らしぶりと、炭鉱のまち独特の暖い人情に魅せられ、しばしば訪れては、聞き取り調査などをさせていただいた。

全島三菱の社有地というきわめて排他的な空間であり、つねに「外勤」と呼ばれる鋭い眼差しの監視役の方が見回るという厳しい管理体制がしかれていた。夫婦喧嘩がその日の内に会社側に伝わるといわれるほど、全てを会社が管理する空間であったが、間近に閉山を迎えて管理体制がやや緩んだすきをねらって、閉山までの数年間、私の研究室では、ずっと軍艦島に張り付いて、人々の暮らしぶりや空間構成、炭鉱の歴史の研究などに取り組んでいた。そして、いよいよ閉山、全員島からの退去のときが目前に迫っていたのだ。

小松左京さんとは、岡本太郎さんの日本万国博太陽の塔の地下空間に、世界の仮面と神像と生活具を同時的に結集するというウメサオ・プロジェクトで親しくしていただいた関係で、夜中の12時にご自宅に電話するのがベストであるということも知っていた。いつも私のことを「ブワナ」(スワヒリ語でミスター)と呼んでくださり、2005年に関学の講演会にこられたときにも、おお、ブワナ!と覚えていただいていた。長崎時代にたしか、千里ニュータウンのことを書くからと電話をいただき、私の学位論文を所望してくださり、お送りしたこともある。

軍艦島からの最後の定期船に乗って長崎市内に戻り、中島川と石橋群をご案内し、あとはうまい活魚料理を用意した。


市民ホールでの「小松左京講演会」は、数百人を集め、大成功であった。
冒頭、小松さんは、自分が『日本沈没』を書いたのは、あのアメリカ軍による広島、長崎への原爆投下に衝撃を受けたからであった。人間にとって真に大切なものは何か。それを考えるのに、一度全てを沈没させてしまうという方法を考えつき、それを小説にしたのだ、だからあの小説の出発点は長崎なのです、と言われた。いつもの、冗談かホントの話かわからないような話しぶりの小松さんとは全く違う、真面目で、まさに心に沁みるお話であった。

そして、中島川の石橋群の大切さについて、諄々と説かれたのである。後日読売新聞に書いたからと、送ってくださったのがこの記事であり、『長崎中島川と石橋群ミニガイド』に、その文章をまるまるいただいた。サインはちゃっかりといただいてあったので、私の描いた似顔絵を付け加えた。当時はこんなにふっくらとされていた。
小松左京さんに「中島川を守る会」へご入会くださいと申し上げたら、その場で会費を下さった。なんと10万円!しかも長崎までの航空運賃は、作家は必要経費で落とせるからとのことでタダ。貧しいわれわれの運動のなかに舞い降りた、まさしく小松エンジェルであった。

その後、1991年だったと思うが、朝日新聞大阪本社の朝日カルチャーセンターの特別講座「町並み探検学」というのを引き受け、長崎から毎週通った。謝金が交通費込で3万円。完全な赤字で、担当者の方が埋め合わせにということで、本社の一階ロビーで小生の町並みスケッチの個展をやらせてくれた。当時朝日新聞社が中之島公会堂の保存に力を入れており、そのスケッチを入れるという条件付きであった。やってみるとあまりにもお客の入りが悪いので、各方面の知人に声をかけまくった。その一人が小松左京さんで、会場には奥様がきてくださり、添付のスケッチをお買い上げくださった。

ああ、お世話になりっぱなしで、なんのお返しもできぬまま逝ってしまわれました・・・心からのご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
# by honmachilabo | 2011-08-11 02:46 | Comments(0)
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このほど、良き「まちづくり人(びと)」を育てるための「まちづくり道場」を、兵庫県尼崎市内に移転しました。

by honmachilabo
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